【奈良墨職人】長野 睦さんにインタビュー

奈良市中心の閑静な住宅街に佇む錦光園。錦光園の職人は代々墨職人の家系で、100年以上の歴史を継承する老舗だ。墨と書かれた黒い暖簾をくぐり、工房の中に入ると墨の香りと共に7代目墨匠の長野睦さんが笑顔で出迎えてくれた。真っ先に飛び込んできた長野さんの手は黒く、墨で汚れていた。「ちょっと手が汚れているから洗ってきますね!」と小走りで洗面台に向かう長野さん。あの手が長年の伝統をつないでいることを想像すると、胸が少し熱くなった。戻ってきた長野さんの爪には墨が残り、墨匠の片鱗が見受けられた気がした。そんな長野さんに墨作りに対する思いを伺った。

—生い立ちを教えてください。

元々ここ、奈良で、家族代々墨屋さんをしている家系に生まれました。大学を卒業し、そのまま家業を継ぐわけではなく、一度家を出て、墨とは無縁の東京の普通の会社に就職しました。その後に仕事をやめて、家業を継ぎ現在に至ります。

—就職のタイミングで家業を継がなかった理由はありますか?

特にないですね。いつか継ぐんだろうなくらいの感覚でした。ただ大学生の時に飲食関係のアルバイトをしていて、その時くらいから飲食業界に興味を持ち、外食産業の会社に就職することにし、そこに10年以上勤めていました。

—墨職人になったきっかけを教えてください。

自分の父親や祖父が墨作りをしていたので、墨を作る光景は日常でした。そろそろ家業を継ごうと思って実家に戻ろうとしたのですが、父親は自分の代で廃業にするつもりだったそうで、家業を継ぐことに反対されました。なぜわざわざ先行きのわからない業界に来るのかと、もっともな意見を言われましたね。答えは単純で、「父親や祖父、職人さん達が、一日中、真っ黒になりながら墨作りをしてそれで生きてきたから」という、ただそれだけの理由でこの仕事を継ぐことにしました。

—墨の仕事をしたいという思いはあったのですか?

そういう思いは特になく、生まれも育ちもここで、小さいころから毎日墨屋さんの仕事を見てきました。真っ黒になりながら働いている父親に食べさせてもらっていたので、将来は自分も墨の仕事で家族を食べさせていくのが普通なんだろうな、くらいの感覚でした。特にやりたい、やらなくちゃいけないというより、それが自然かなというのはずっと思っていましたね。

—今の墨業界はについて教えてください。

墨業界は思っている以上にズタズタですね。厳しい状況で、墨に関わる職人さんなど、ここ数十年でどんどん、廃業していっています。取引先や、小売店さんもどんどん廃業していき、職人さんの数も減って、今では墨屋さんの数は10件を切っている状況です。

—衰退している業界の中で、今まで事業を行えてこれた理由はありますか?

15年~20年前くらいにお客さんから依頼があった、墨作りの体験教室を始めたことです。ありがたいことに体験教室には外国人の方も来ていただいていて、墨のことを知ってもらう良いきっかけになっていると思います。

—これから奈良墨を世の中に残していくのに必要だと思うことはありますか?

これは、墨だけでなく、伝統産業全体に言えることですが、作るという事より、伝えるという事をするべきだと思っています。伝統を残していくには伝えることは作ること以上に重要だと思っていて、学校に行って墨の授業をしたり、オンラインで墨作りの体験講座などで墨を伝える活動をするようにしています。そういう活動をしていかないと墨業界はこれから成り立っていかないと思って伝えることを大切にしています。

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