【東京銀器職人】泉さんにインタビュー

浅草寺を横目に花屋敷を抜け、商店街を歩くとそこには東京銀器職人・泉健一郎さんの工房・銀泉いづみけんがある。銀を叩いてカップを作るのみならず、ベルトのバックル、大きな一輪挿し、小さな装身具なども作られている。中には鏨(たがね)で般若心経が描かれるバングルのような東京彫金の作品も見られる。「ここへ来るまでの道筋を話すと長くなるけど大丈夫?(笑)」と紆余曲折を経験した泉さんのこれまでのこと、これからのことを伺った。

―泉さんは小さい頃からモノづくりが好きだったんですか?

親から聞くところによると好きだったらしいです。授業中に消しゴムを削ったり、漫画を描いたり遊んでいるところを度々叱られ、先生の目の前に席を配置させられていました(笑)

―中学・高校へはどのような進路で進まれたんですか?

中学・高校は特に特別なこともない一般的な進路に進みました。その後、理科系の大学を目指していたんですが、試験に落ちてしまって浪人をしました。浪人中の夏休みに、「待てよ。俺本当にこのままでいいのか、本当に自分が好きなことってなんだろうな」と引っかかりました。その考えている時期に自分は「美術」が好きだなと思いました。

きっかけは仲の良い友達で、彼は美術系の学校を目指していて、周りに流されずに自分の好きなことに真っ直ぐでした。自分も心の動くままに生きようと感化されて、美術系の大学を受けようと考えました。夏休みからデッサンを習ったりしたので、受験の準備期間が短すぎたせいか、また試験に落ちてしまいました。2浪して、美大に行く気はなく、専門学校を見つけ入学をしました。そこでは、毎日大好きな油絵や彫刻を勉強し、素晴らしい恩師の方々にも恵まれ、その時期から本気でモノづくりの道を志し始めました。

―実際に美術専門学校に行ってみてどうでしたか?

毎日好きなことができて最高でした!よく大学は人生の夏休みと言われているように、遊びに行く学生が多いようですが、僕はそういった感覚はなくて、夢中で絵の勉強をしていました。その放課後には、東京八重洲のラーメン屋さんでアルバイトをしており、麻雀屋さんに自転車でラーメンを届けていました!そこにも恩師と言えるほどに面倒見て下さる方が待っておられ、仕事の心構えをしっかりと教わったものです。

―この壁に掛けられている写真も泉さんが描かれたんですか?

そうです!美術専門学校を卒業した後に、直ぐには就職はせず、東海道五十三次のルートを絵を書きながら、徒歩で西へ向かいました。美術専門学校を卒業したタイミングで明確にやりたいことも見つからず、自分探しの旅へ出かけました。壁に掛かっている絵はその時に履いていた靴の画です。京都に停泊した時は新聞配達屋さんに潜り込んで冬を越しました。たったの半年だったけど京都は心のふるさとです。冬は、新聞を配っている時にさーっと雪が降ってパッとやむんです。あたりは真っ白で、そこに真っ赤な椿が落ちていたりして絵になりましたね。冷たい暗暁の中、ほのかに浮かぶ白梅に春を感じたりして。その半年間で「仕事とは何か」ということを青臭く考えましたが、それでも自分がしたいことがわからなくて、ただ心の向くままに五月より又、西へと歩いて進み、穏やかな山陽の自然と人に触れたものです。北九州で折り返し、美しい山陰の海景を辿り丹後を抜けて再び京都から、行く道中でお世話になった人に挨拶をしながら徒歩で家まで戻りました。

―約3,000kmを歩いて自分探しは驚愕ですね。ご実家に戻られた後はどのように過ごされたんですか?

それから2年くらいは新聞配達をしながらゴッホのように絵を書いていました。そんな時に母親に「そろそろ就職したら?」と言われ、今でいうハローワークに行きました。そこで家の近くにある建設会社を見つけ、面接に行くと「せっかく耕してきた美術という畑があるのにもったいないじゃないか!」と叱られました。その言葉を素直に受け止めて、帰り道に本屋に寄ってふと就職情報誌を見ると「金属工芸」という文字が目に飛び込んだので埼玉の浦和にある工場に見学しに行きました。

家に帰り母親に自分の生活とはかけ離れた仕事内容に疑問をぶつけると、「昔からこう言うんだよ。かごに乗る人担ぐ人、そのまたワラジを作る人と言ってね、籠を作る人、籠を担ぐ人、籠を担ぐ人の服を作る人、靴を作る人と、世の中にはそれぞれ仕事が合って分担して持ちつ持たれつで回っているんだよ」という話を母親から聞き、なんだかその時の僕にはその言葉がストーンと落ち、自分も誰かの役に立てるモノづくりをしようと思い、金属工芸の世界へ飛び込みました。

―その金属工場ではどのような仕事をされていたんですか?

そこでは25歳から39歳まで14年間、宮内庁のフォーク・ナイフ・スプーンなどの銀食器、記念品の盃などを手作業部門にて作っていました。現代とは異なり、パソコンなどの機器は一切なく、機械も職人の感覚一つで操作されていました。

―14年間工場で働かれた後に独立をされたきっかけはなにかあったんですか?

当初の見学時に工場長と何気なく話していた会話からですね。工場に3畳くらいの狭い事務室があってそこで話している時に、このくらいのスペースがあれば独立もできるんだよと言われ、それも選択肢の一つとして考えてみようと思っていました。環境も人もいいし、嫌なこともなく、辞める理由は特にありませんでしたが、初心に戻ろうという気持ちが強く独立を決意しました。時代は丁度かのバブルがはじけた後でした。

―独立後はどのような生活をおくられていたんですか?

独立してからは、基本自宅で仕事をしていました。28歳で妻と結婚をし、独立したころには子供がいたので子供と一緒に過ごす時間が多くて、今思い返すといい時間でしたね。独立して、1年後くらいに、お客様より商品の修復を頼まれたんです。その際、御徒町のある店に行き、オーナーと色々話しこんでいる間に「ここで実演をしてくれないか」と言われ、そこで1年半くらい客寄せパンダをしていました。

―いいご縁ですね。

そうですね。ご縁に恵まれる機会が多くありました。
ある晩にそこで仕事をしていると宝飾が大好きなおじいさんがやってきて、「君、俺の死んだ兄貴にそっくりだ。これも何かの縁だ、知り合いにクエート人がやっている宝石屋があるから、品定めに一緒に行ってほしい」と言われて、そのクエート人のお店を尋ねました。そこで働くクエート人は僕が職人だということを知ると、商品の修理依頼をたくさんくれて、これもよい縁だなとしみじみ思いました。その他にも、昔行っていた美術の専門学校に遊びに行ったときには、非常勤講師を希望したところ丁度欠員していたのでお願いされ、週2回12年間そこへ通い続けました。

―泉さんの銀器に対するこだわりはどのようなところにございますか?

こだわりはお客様のことを第一に考えることです。この仕事には2パターンの種類があり、自分の作りたいものを作るか、お客さんからの製作依頼・修理をするか。この2パターンどちらにも共通している点が「誰かが使う物」ということ。細かい話だけど、例えば、動画撮影をしてもらったカップもですけど口元に当たった時の感覚、手に持った時の感覚など、当たり前のことだけど、お客様が使いやすいような形にしています。

仕事にはいろいろと教わることがあります。無理なことすれば銀が嫌がるんですね。銀には銀がなりたい順序と形があると思うんです。あらゆる形になることができる銀が、いかに自然体でいられるか。植物と似ているんですかね。太陽の光が当たりやすいように放射状に葉っぱが生えていたりするじゃないですか。言葉で説明するのは難しいですが、そういった具合で銀にも、銀のなりたい形、その形になる理由というものがあるのではないかと思っています。ただ叩いて、丸くしているのではなく、銀と会話をして、その銀がなりたい形にしてあげるよう心がけています。

―泉さんが大切にしていらっしゃる信条はございますか?

あえて申せば「如」(ごとし)という言葉ですかね。「その人らしく」「その通り」という意味です。

赤塚不二夫でいう「これでいいのだ」という感じですかね。浪人している時に禅の世界に惹かれて、形而上学に浸っていました。自分のやりたいように、なりたいように、背伸びしないで自分のままでいいんだという意味合いが好きです。そのようなマインドに振り切る勇気も大事だと思っています。

―泉さんの今後のご展望を教えてください!

自分の持っている技術を若者に分散してでもよいから、伝えていきたいです。そのために工芸教室、体験教室を行っています。その教室などで出会った少年少女が自分でそこから工芸を追求していくのもまた面白いと思っています。

―最後にこれから工芸業界を志す若者にメッセージをお願いします。

職人の一番いいところは素直さだと思います。我が我がと思っていることや、虚飾に満ちた考え方をしていると、どれだけ技術や考え方を教えてもらっても、心のコップから水がこぼれていってしまうと思います。その時、その場でそのコップを空にできる人が本当に成長できる人だと思います!まずは素直に教わる人の意見を聞き入れることが大事だと思います!!取捨選択はその後でよろしい。そしてその素直さがよい人間関係に導いてくれることでしょう。

インタビューを終えて

インタビューを開始したのは午後4時。インタビューの前には朝9時より7時間休みなく100,000回以上銀を叩き続けていただき、カップを作る工程の撮影をさせていただきました。後のインタビューで改めて、銀器に対する想いをお伺いし、そういった気持ちでモノづくりをしていらっしゃるのかと考えると、もう1度作っている姿を見てみたいと思いました。泉さんの作品は、すべてが手作業から生まれるからこそ、機械には作り出せない味わいがあり、人が作ったという温かみを感じられる逸品ばかり。水玄京オンラインストアにて販売しておりますので、是非ご覧ください。

YouTubeで製作工程をご覧いただけます!

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