【東京洋傘職人】前原さんにインタビュー

日本のあらゆる工芸品の職人が集うエリア、東京都台東区。そこにはモダンで洗練された店構えが目立つ東京洋傘の工房兼、店舗を構える前原光榮商店がある。今回インタビューをさせていただいたのは前原光榮商店三代目・前原慎史さん。会社の代表であり4児のパパでもある前原さんは仕事外の時間は家事の時間に費やしているとのこと。「家事は仕事の合間に、時間内で終わらせるゲームみたいで楽しいですよ!」という。まさに父親の鏡。そんな前原さんにこれまでのこと、これからのことをお伺いした。

―子供のころから職人になろうと考えていらっしゃたのですか?

職人になろうとは、全く考えていなかったです。モノづくりに興味があったかと言われると、正直ありませんでした。男性なら特に共感して頂けると思うんですけど、小学校の頃は図工が好きな授業だったというぐらいですね。期待に応えられずにすみません。(笑) 子供の頃から、この仕事に就こうとも意識していなかったです。小学生のころはプロ野球選手になりたいと思っていました。中学生、高校生の時は何かになりたいという気持ちは特になかったですね、、

―中学、高校はどのような進路に進まれたんですか?

中学校卒業と同時に、周りの子たちはそのまま高校に進学していたんですけど、特にやりたいこと、勉強したい分野がなく「目的もないのになぜ高校に行かなきゃいけないんだろう」と思ったんですよね。それで何をしようかなと考えた時に、急にアメリカに行きたくなったんですよね。動機なんてものは「ただカッコいい」って理由だけなんですけど、所詮、中学生が考えることなので、親を説得する力もなくて、周りと一緒の高校に行くことになりました。けれど、頭の片隅でやっぱりアメリカに行く情熱が消えませんでした。高校在学中にお金を貯めてアメリカに行くと決めていたので、高校卒業後に親を説得して留学をしました。

―場所はどちらへ行かれたんですか?

アメリカのロサンゼルスへ5年間行きました。1年間くらいホームステイして、その後は部屋を借りて、バイトしながら暮らし、ESLという英語を勉強するカリキュラムを通して現地の大学に進学しました。

―なぜアメリカを選ばれたんですか?

実は、高校を卒業するタイミングではアメリカではなくイギリスの大学に行きたかったんです、、、

アメリカに行きたいと思っていた理由は本当に単純な理由なんですけど、映画「Back to the Future」を見て、かっこいいなと思ったからですね(笑)あのハイスクールのイメージが頭から離れなくて、行きたいなぁと思っていました。けどそこから日本の高校に入学して、英語の授業受けながら英語のルーツってイギリスだということを知り、そこからどうせなら本場で英語を学びたいと思っていました。

―なぜイギリスにはいけなかったんですか?

親に止められました(笑) その理由は今も意味がわからないんですけど、アメリカってめちゃめちゃ広いのに、アメリカには1人知り合いがいるからアメリカは安心できるけど、イギリスには知り合いがいないからダメだっていう理由でアメリカにしました。

―アメリカの大学卒業後はどのような進路に進まれたんですか?

卒業後は海外で仕事をしようとも思っていたんですが、そのタイミングで親父の体調が悪くなってしまい帰国をすることにしました。その時もやりたいことが見つかっていなくて、家業の傘屋を継ぐ気も全くなかったです。しかし、思い返してみると中学の卒業文集に傘屋を継ぐということを書いてしまったので、親に期待をさせているかなと思い、帰国したタイミングで傘屋を手伝い始めました。

―では、帰国と同時に家業を継がれたんですね。

そうですね、帰国して間もなく父が亡くなりそのまま業務を引き継いでいったという感じです。僕は2人兄弟の次男で今は兄も一緒に働いています。元々彼は理系で工学系の仕事をしていたんですがその仕事をやめて家業を共に継いでいます。

―5年間アメリカという異国の地で20代前半を過ごし、23歳の時に家業を継がれたと思うのですが、振り返ってみて当時はいかがでしたか?

やり始めたならこの道を正解にするしかないなと思っていました。実際、好きなことを仕事にするっていうのは、働く上での理想形だと思います。ですが、何か好きでも嫌いでもないけれど人生をかけて続けることで、その道を極めることもかっこいいなと思っていました。それは、傘でも傘じゃなくても思っていたと思います。

―当時の職人の方々との連携はいかがでしたか?

社会人1年目でいきなり家業を継ぐという状況で、言葉遣いもままならなかったですね。関わる周りの皆さまの温かさに救われました。職人の方々と仕事をしてみて思っていた職人像と実際の職人像が180度変わりましたね。職人さんも一人の人間で、頑固や、堅物といったイメージがありますが、実際はそんなことはなく、心優しい方ばかりでした。

―会社を経営される中で意識されていることはございますか。

たくさんありますね。僕は人の言葉と本から学ぶことが多くて、「走りながら考えろ」「モノを頼むときは、一番忙しい人に頼め」といった言葉を常に意識しています。スティーブジョブスとか、モハメドアリの言葉とかそういう言葉を見て自己啓発をしている時期もありましたね、その時その時でたまたま出会った言葉が仕事のシチュエーションと嚙み合ってくるタイミングが出てきて、その言葉を実践するということを繰り返していました。

―後継者育成に注力されていると思いますが、具体的にどのようなことをされているんですか?

若者にヒアリングをしてロジカルな仕組みにしていこうと思っています。 傘の市場は減産傾向にあって、職人不足という壁に直面しています。住み込みでお小遣い制とかもこの時代に実現不可能で、今までとは違う仕組みを作らなければいけないと思ったのがきっかけです。職人さんは各々の経験に基づく勘で傘を作っているんですけど、各工程でのセンチなどの数値を定めて、教科書のようなものを作りました。80歳を超えている職人さんたちの仕事を若者が引き継げるような仕組みを作っています。

―今後のご展望を教えてください。

企業ビジョンでもある「傘で人々の生活を豊かにする」ということを意識したいと思っています。会社という組織を考えるようになって、会社というものは見ず知らずの人たちが何かの縁で集まってきて、そこで多くの時間を過ごしている集合体だと思います。その環境をいかに働きやすくできるかということを最重要視しています。ごくわずかな従業員だけですけど、社内環境を良くすることが社会に対する貢献とも感じます。彼らが傘を通じて、お客様と接し、接客してくれたのがあなたでよかった、傘を購入できてよかったと言われ嬉しい気持ちになるといったサイクルを作り、内部から社会貢献をしていこうと思っています。

インタビューを終えて

前原さんのおっしゃる会社の内部を良くすることが社会貢献だという意識が非常に印象に残っています。社内にいるメンバーが生活に満足する環境を作りその満足を外部へ派生させていくことで、お客様にもその気持ちが伝わり喜んでもらえるそのサイクルに感銘を受けました。「傘で人々の生活を豊かにする」理念の元作られる傘は水玄京オンラインストアから購入が可能です。是非ご覧ください。

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