【京人形職人】橋本幸司さんにインタビュー

1751年から続く人形作りを営む会社、橋本人形店。京都府、河原町の大通りを少し入ったところにどっしりと構えた店舗があり、店内には様々な種類の京人形が並んでいた。250年以上続く歴史を守り続けてきた職人の方々がおられ、高度な技術を活かし、最高級の京人形を作りだす。創作雛を手掛けてきた代表の橋本幸司さんにお話を聞いた。

―経歴を教えてください

母の実家が祇園にあったので、祇園で生まれて河原町で育ちました。小学校と中学校もその辺りの学校に行っていたので、ずっと京都で過ごしていましたね。高校も京都でしたが、大学で大阪に出ましたね。その後、大阪の企業で1年間の修業をした後に京都に帰ってきました。

―幼少期の頃に夢中で取り組んでいたことは何かございますか?

いろいろなことをしていましたね。バスケットボール、サッカー、野球、絵画や木工。彫刻や書道もやっていました。一番長かったのが書道だと思います。書道は高校生までずっとやっていましたからね。ちなみに日本のコンクールは全て総なめしました。先生からプロになった方が良いと言われたりもしました。

-凄いですね!書道は好きで始めたのですか?それともご両親の教育的な部分ですか?

小学校1年生の時からやっていたので、ほぼ教育ですね(笑)。

-そうだったんですね。そうなるとやっぱり、中学、高校と書道部だったんですか?

それが属してなくて。バスケットボールをやっていたのですが、あまりにも弱かったので辞めました(笑)。

-その後大学では何を学ばれたのですか?

経済学です。

—その後、人形の世界に入ると思うのですが、それは必然的だったのですか?

必然でした。ずっと跡取りと言われていたので。そういうことを常に意識した時間でしたし、修行にも行きました。飲食店を本当はやりたいとも思っているんですけど、時間があまりなくて。

-継ぐことに関して抵抗はなかったのですか?

まあ別に特にはないです。さっきの話でもありましたけど、必然的だったので。そう育ってきたし、「そういうものか」くらいに感じていましたね。

-趣味はありますか?

今はほぼほぼ飲食です。美味しいもの食べに行ったり、美味しいもの飲みに行ったりします。体を動かすことでいうと、スキーとかウィンタースポーツですね。

—お酒は何が好きなんですか?

なんでも好きですけど、、、ワイン、焼酎ですかね。飲まない日はないです。ここ20数年、欠かしたことはないです。一番好きなのは旅行に行って、朝ごはんから飲むことです。そういう時は1日中飲めて良いです。(笑)

-話が少し変わりますが、お仕事の中でのこだわりってありますか?

今の人形って、簡易的に作って、手を抜けるところは手を抜こうみたいな、素材も安価なものを使って。。そういう悪いことをしているところが結構あるのが現状にあります。自分たちは、本物のモノを素材からすべて揃えています。それらを組み合わせて最高のモノづくりをするっていうのがプライドとしてあります。

-これからの人形や人形界がどうなっていってほしい、こうしていきたいみたいな展望ってなにかありますか?

——雛人形は、日本人は知ってくれていると思うのですが、これからは海外に目を向けていきたいです。人形の製品としてだけではなく、文化も知っていただいて、人形はこういうものなんだということを知っていただきたいです。

-これから伝統工芸に関わる若者たちへのメッセージを頂けますか?

伝統工芸とかモノづくりっていうのは頑張れば、その時代が来るとかそういうわけではないんですけど、まあ取り敢えず、好きならやってみたらいい。諦めなかったら何とかなるかもしれないけど、簡単にいく世界ではないので覚悟が必要かもしれないですね。でもやってみたらいいと思います。

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