【江戸手描提燈職人】村田さんにインタビュー

飛行機設計から提灯職人へ

字をキレイに書くコツは、バランスを重視することと、文字の隙間を等間隔にすることを意識してゆっくりと書けば誰でもきれいに書ける。とおっしゃられたのは今回インタビューをさせていただいた村田健一郎さん。提灯職人になってからも字を書くのは苦手だったと謙遜され、江戸っ子でありながら控えめで心優しい性格がにじみ出ていた。そんな村田さんにこれまでのこと、これからのことを伺った。

―職人になったきっかけを教えてください。

私の場合は家業が提灯屋だったので職人にはなるべくしてなりました。私自身、昔からモノ作りが好きで、プラモデルなどをよく作っていました。小中学生の頃は美術というよりも技術が好きで、文字や絵を描くことは得意ではありませんでした。年齢を重ねるごとに、自分の代で代々続く家業である伝統工芸を閉ざしてしまうのはという気持ちになったので継ぐことを決意しました。

―中学校を卒業されてからの進路はどのように進まれたんですか?

高校は航空工業高等専門学校に行って、飛行機設計の勉強をしていました。当時はまだ明確に家業を継ごうとは思っていなかったんですが、将来的な仕事の選択肢として家業は1つの選択肢としてありましたね。

―当時は航空系の仕事に就きたいと思われていたんですか?

そうですね。当時は、飛行機を作るエンジニアになれたらいいなと思っていました。ざっくりとですが、何かの職人になれたらいいなとは考えていました。5年間の高校でしたので、20歳で卒業をして、家業とは別の仕事に就職しようかなとは思ったのですが、やはり職人になるには早い方がいいと思い、卒業してすぐに家業に入りました。

―すぐに家業に入られたんですね!家業に入ってみて実際いかがでしたか。

家業の仕事も手伝いをしながら自分に合うかどうかを考えるといった時間にしたかったので、別でパティシエのバイトも1年間していました。「作る」というところで共通点がありましたし、華やかな世界に憧れを持っていたので1年間だけ、掛け持ちで働いていました。甘いものも好きだったので好都合でしたね(笑)

―パティシエになる夢と提灯職人になることの両軸で動かれていたと思うのですが、提灯職人になる決め手はありましたか?

1年間の猶予つきで家業もパティシエもやってみて提灯職人の奥の深さに惹かれましたし、冒頭でも言ったように、やはり自分の代で家業を閉ざすのは心苦しいという思いから提灯職人になろうと思いました。特に父親から、継いでほしいとも言われていないですし、好きな事やれと言われてきたので、気は楽でした。むしろ継いでくれと言われていたら継いでいなかったかもしれないです。

―実際に提灯職人になった時の感情はいかがでしたか?

想像していた以上になにもできませんでした。作業を見ていると簡単そうにやっているので、案外できるだろうと思っていたんですけど、やってみたら案外できない、の繰り返しでした。提燈の業界では「桃栗三年柿八年」にかけて「墨すり三年、書き八年」と言われ、一人前になるまで約10年はかかるとされています。自分で書けるようになるまでにその通りかなりの時間がかかりました。今35歳で、15年目なので、つい最近書けるようになった感覚です。

―やめようかなと思ったタイミングだったりはございましたか?

何回もありましたね、業界が衰退しているということに加えて、印刷技術が発達してきてしまい、手描きの需要がなくなってきてしまいました。開店祝いの依頼で毎日何十枚も注文が来ている時期もありましたが、今はそのようなことはなくといった感じです。ですが、一度決めたことなのでやりきろうという気持ちでいます。

―提灯を作っていて楽しいなと思う瞬間はございますか?

真っ白の和紙から書き始めるのでどんどんと書いていく過程で文字が埋まっていく感じ、それが完成した時は気分が上がりますね。

―提灯作りで一番こだわっている部分はございますか。

やはり文字のバランスですかね。家紋や、デザインが決まっているものなどの書き写しは得意なのですが、文字を書くのは15年やっても難しいですね。最初は、親父に見本を書いてもらっていたんですけど、10年も経って親父に見本を書いてもらっていては仕事にならないので、自分自身に喝を入れて練習をたくさんしました。親父の字は力強くはっきりとした字なので、その字に近づけるように精進しています。
また、父は家紋に人一倍こだわりを持っていて家紋の冊子も自分で作っているほどです。父からも3年は家紋を描き続けて1人前だと言われ書き続けてきました。父の提灯作りに対する姿勢は見習うべきだと思いますし、自分もこだわりを持とうと思っています。

―15年間職人として働かれて、大切に思っている信条はございますか?

「コツコツ続けること」ですかね。やっぱり1日、2日で結果が出てほしいと思ってしまいがちですけど、現実はそんな甘くはないと思っています。私の場合は文字の成長度合いを指標にしています。去年書いた字と今年書いた字を見比べてみるとちょっとはうまくなっているかなという実感を得られます。そういった少し長い目で見て、コツコツと毎日すべきことを続けることで成長することができると思っています。

―今後の村田さんのご展望を教えてください!

江戸手描き提燈を知らない方が日本でさえもすごくいると思っています。提灯という存在は知っていても、提灯に手書きで文字を書いているということすら知らない人がいると思います。印刷とよく間違えられるので、手書きで提灯を作っている人がいるということを知ってもらった上で、手描きならではの味を楽しんでもらえたらいいなと思っております。
また、自分の子供が提灯の仕事をやりたいと言えるような環境を整えておきたいとは思います。息子が今4歳なのですが、継いでほしいとは言いませんが、継いでくれたら嬉しいなとは思っています。継ぐとしてもそれなりの仕事がなければいけないと思うので、自分の代でどこまで築き上げることができるのかということが肝になるかなと思います。

―最後に、工芸品業界を志す若者へのメッセージをお願いします。

すぐにできるようなるものではないので、ひたすら我慢強く修行し続けることが大事だと思います。それに加えて、ただ技術を身につけただけでは仕事はもらえない時代になってきました。これからは、情報を発信する時代だと思うので、僕自身も気合を入れて制作活動に勤しまなければいけないなと思っています!

インタビューを終えて

飛行機設計、パティシエと様々な職業に興味を持ちながら最終的に家業を継いだ村田さん。自分のしたい事=家業になるまでに紆余曲折や葛藤があったことが垣間見えました。我慢強く継続する心、コツコツと努力をし続けるひたむきさは、職人としてではなく1人の人間として見習うべき姿がありました。そんな村田さんが作る提灯は水玄京オンラインストアより購入が可能です。1人1人のオーダーメイドも承っておりますので、下記URLより詳細をご確認ください!

YouTubeで製造工程をご覧頂けます!

https://www.youtube.com/watch?v=5GK7S7F3LOI
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