京弓の製作工程
張り合わせ
複数の木を用いて3層を作り上げます。
様々な材質を用いることで丈夫になり、しなやかさが生まれます。
削り
弓を引く強さに応じて厚みを調整していきます。
ミリ単位で調整される職人の表情は真剣そのものです。
弓打ち
この工程で弓に命を吹き込んでいきます。全体に等間隔になるように麻縄を巻いていきます。
そこに竹のくさびを打ち込み反りをつけていきます。接着剤が固まるまでは約15分。この工程では工房に緊張感が走ります。
張り込み
弓づくりの勝負所。張り台に弓をかけ弓打ちした形は逆の方向へ反り返していきます。
自然由来が故、いつ反発するか分からない状況での作業は息をのみます。
YouTubeで京弓の製作工程をご覧いただけます!
京弓の設計図は職人の頭の中
京弓は弓道愛好家から絶大な信頼を置かれる、日本を代表する弓の一つです。どの作業一つをとっても、寸分の狂いは許されず、工房には常に緊張感が漂います。竹の切り出しから仕上げまでには大きく分けて6つの工程を踏み、京弓を作り上げます。
その工程の中でも最も目を見張るのは「弓打ち」。接着剤が固まるまでのわずか15分間で、反りをつけていきます。弓打ちを含めすべての工程に設計図はなく、状態の異なる竹に第六感を研ぎ澄まし、経験に基づいた勘を頼りに、全神経を弓づくりに集中させます。
そんな京弓の特徴は、他県の弓と比べ、握る部分のカーブが小さく、矢を放つ際には綺麗な曲線美が描かれていることです。矢を勢いよく放つために最適とされるバランスであるということが挙げられ、弓道家からは憧れの的となっております。
唯一の京弓店
現在、京弓を作り続けている弓店は「柴田勘十郎弓店」ただ1軒のみ。その京弓の起源は1534年、戦国時代まで遡ります。初代当主は薩摩藩の弓師として仕えており、そこから京都に移り、徳川藩に仕え、「御弓師」の称号を与えられました。本能寺の変では明智光秀軍に対して織田信長がひいた弓は柴田勘十郎の弓だったとの通説もあるほど、その名が広がっていました。
明治22年には宮内庁御用達となり、伊勢神宮にて20年に一度行われる「式年遷宮」では御神宝も制作します。現代、当主21代目が代々「勘十郎」の名を継ぎ、2013年の式年遷宮では59張の「梓弓(あずさゆみ)」を納めました。
一人一人に合った京弓を
職人ではなく「技術者」という呼ばれ方が合っていると思う。そう語るのは、21代目柴田勘十郎さん。より多くの人に使ってもらいたいという願いを込めて、芸術品、伝統工芸品という付加価値はつけたくないという気持ちがあるそうです。見た目の美しさより、実用性を重視した弓づくりを心掛けている姿勢からも、使い手第一の思想を伺うことができます。
また、弓道用の弓とは別に美術品や芸術品に属するような飾り弓具「うつぼ台」も制作しております。時は遡ること戦国時代。本拠地で指示を仰ぐ将軍の背後に設置してあったとも言われています。この飾り弓具は、勘十郎さんの知る限り世界に「3台」しか購入した人はおらず、日本にはたった1台のみだそうです。
弓道をされている方、これから弓道をされる方、飾り弓具をご購入されたい方、500年以上続く京弓の伝統を継承していくためにも、日本国内のみならず国外の方にも京弓の魅力を感じていただきたいと思います。
22代目になる21代目のご子息、柴田宗博さんにインタビューを致しました。京弓の今後を受け継ぐ弓師のお話を是非ご覧ください。