愛知県の中心地名古屋から東へ進み、隣り合う静岡県との県境の嵩山に工房を構える嵩山工房(すせこうぼう)。難読地名としても知られるほど、地元民以外はこの町の読み方には苦戦するのではないでしょうか。そんな地域にて、60年以上豊橋筆を作り続ける職人、山崎亘弘さん。インタビューをさせていただいた1週間前に80歳の誕生日を迎えられたという。熟練の技を丁寧な説明と共に拝見させていただいた後に、山崎さんのこれまでのお話、これからのお話をお伺いした。
- ―山崎さんが筆職人になられたきっかけはございますか?
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きっかけは、15歳の就職を決める試験当日だね。当時は、中学校卒業のタイミングで学校全体の半分くらい子たちが工場や、建設の現場、様々なジャンルの職人道を志す人が多かったです。僕は、細かい作業とかが得意だったので、印刷会社を志望していました。その印刷会社の試験当日は類をみない大雨が降っていて、今の時代であれば車で送迎が容易だろうけど、当時の交通機関は限られていて、試験会場に向かうことができなかったんです。だから、印刷会社で働くという道をあきらめ、他の就職先を探そうと思っていたんですが、筆工房の親方が中学校に尋ねてきて、就職先が決まっていない同級生5人を拾ってくれたんです。そんなこんなで筆職人になっていました(笑)
- ―人生何が起こるかわからないですね、山崎さん自身筆工房を志望されていたわけではないと思うのですが、実際入職した当時はどのようなことを思われていましたか?
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志望してなかったとはいえ、ネガティブなことは考えていませんでした。むしろ、当時は職人になると一生食いっぱぐれないと言われていて、就職先を頂いたことに有難みを感じていました。しかも、同級生5人と同じタイミングで入職して、住み込みで生活をしていたので、毎晩修学旅行のような感じで楽しかったです(笑)
- ―毎晩修学旅行感覚は楽しそうですね!
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もちろん仕事は今と比べてもめちゃめちゃ忙しかったですけどね、けど同級生がいたから頑張れた部分もあったね!辛いことがあっても支え合っていたし、時間内に何本作れるかの競争とかもして、仕事を楽しんでいました。
- -いつごろから独立を視野に入れていたんですか?
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視野に入れていたわけではないけど、親方との方向性が合わなかったんです。親方は平等の精神が強くて、どれだけ仕事が早く終わったり、上手に筆を作っても給料は遅く作っている人と同額で、頑張った分だけの成果が得られなかったのが悔しかったんです。独立したのは入職してから7年後の22歳の時で、書道が盛んに行われている時代で、取引先も多くあったので、仕事に困ることはありませんでした。
また、厳密にいうと、親方のところで働いている時も、独立してからも、豊橋筆というものは存在しなかったんです。どういうことかというと、我々は、問屋さんに筆を作ってくれと言われ、注文本数を作って卸していただけ、その筆が京都に行けば京都筆に、東京に行けば東京筆になっていました。そういった状況も踏まえて、せっかく豊橋で作っているのだから、自分達でも販売がしたいと思ったのも独立のきっかけの一つですね。
- ―独立されて58年、筆を作り始めて65年になりますが、これまでのご活動を振り返ってみていかがですか?
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昔と比べて、テレビなどのマスメディア、印刷方法の発達によって、手描きの漫画とかが減っていってしまって、筆自体の需要が減ってしまったとひしひしと感じますね。コロナになって追い打ちをかけるように生産もだいぶ落ち着いてきています。
けれど、落ち込んでいても仕方がありませんし、注文があったものを実直に作ること以外にも、小学校での体験学習をはじめ、豊橋筆の発信に注力し、伝承と観光振興に地道に取り組んでいます。ホームページを作り、そこからテレビや新聞の取材も増え、様々な方からご注文を頂くようになりました。各メディア出演の影響か、海外の学校から団体で訪問予約が入ったり、僕が作った筆を使って海外で書道の先生をしている人がいて、弟子が100人くらいいるらしいです。外国からの需要も少なからずあるということが分かり、まだまだできることがあるなと思っています。
- ―まだまだできることがあるというのは心強いですね!今後の嵩山工房としてのご展望はどのように見られていますか。
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今まで通り仕事をしますし、ゆったりと過ごしていきたいとも思います。ですが、ここ最近新たに商品化したペットチャームの注文が予想以上にきており驚いています。我々は毛のプロということで、ペットの毛も記念品にできるのではないかということで、今ではホームページ上での筆の売り上げに追いつくくらい人気が出てきています。家族のように大切な時間を過ごしたペットの毛でチャームを作ってほしいと涙ながらにお電話をいただくこともあり、決して失敗が許されない仕事なので気が引き締まります。他にも、生まれて初めてカットする髪の毛で作る胎毛筆(赤ちゃん筆)や、自分の髪の毛で筆を作りたいといった注文を受けたこともあります。
- ―最後に、工芸品業界を志す、興味のある若者にメッセージを頂いてもよろしいでしょうか。
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辛抱すること。良いモノを作るという意識の2つが大事ということかな。65年間筆を作り続けてきたけど、辛抱すれば何とかなると今になって思います。苦しいときは当然身も心もしんどいし、辞めたくなる時もあるだろうけど、将来は必ず良くなると思って続けることだね。あとは、ただ何も考えずに何かを作ろうとすることや手だけ動かすことはあまり意味がないと思っています。いいものを作りたいという漠然な想いで、じゃあどうすればいいものが作れるかと逆算して考えることが大事なんじゃないかな。
娘がインターネットを導入してからはいいものを作ることにおいて勉強になることが多いです。直接どういうものがいいとか需要を教えてくれる上に、メッセージなどを頂くことはやはり嬉しいです。まぁ若いうちはガツガツやることで得られることもあるし、それもいいと思いますけどね(笑)
インタビューを終えて
65年間筆づくりを続ける山崎さんは、筆は作りますが、書道はしないとのこと。その理由は、自分自身の好みの筆を作ってしまうからと笑いながらおっしゃっていました。娘さんのお話によると、山崎さんは採算度外視で商品を考えるから利益のことについて頭を抱えているとのこと。採算度外視で、ただ良いものを皆さんに使っていただきたいと考えるその思いに、私は心を打たれました。80歳という年齢を感じさせない作業スピードと、丁寧な職人技は下記動画よりご覧いただけます。水玄京ECサイトより豊橋筆もお買い求めいただけますので、是非お立ち寄りくださいませ!
YouTubeで製造工程をご覧頂けます!