【刀鍛冶職人】藤安将平さんにインタビュー

福島県福島市に『将平鍛刀場』を構え日本刀を作る刀工・藤安将平さん。京都で500年続く弓店を営む柴田勘十郎弓店の息子さん・柴田宗博さんに「福島県で日本刀を作っている面白い人がいるから紹介する。」と言われ、すぐに電話をし、アポイントを取った。仕事場へ向かうと、カンッカンッと鋼を叩く音が聞こえてきた。白髭を蓄えたまるで仙人のような佇まいの藤安さんは「よく来たね~」と優しい笑顔で迎え入れてくれた。50年以上日本刀を作り続ける藤安さんにこれまでのこと、これからのことを伺った。

―藤安さんはいつごろからモノづくりに興味を持たれたんですか?

物心がつく前からだと思います!興味とかではなく、何かを作る行為が当然のごとく日常にあったので、小さい頃から様々なモノを作っていました。小さい頃に、木の枝を見つけると刀のように形を整えてチャンバラをしていたそうです。当然その時代はおもちゃが売っているわけでもないのでおもちゃも自分で作っていました。チャンバラをして楽しむことよりも、チャンバラするための道具を作ることが楽しかったんですよね。

―幼少期からモノづくりと密接な関係にあったんですね。日本刀を作る道を志すきっかけは何だったんですか?

高校生の時に読んだ、人間国宝・宮入行平刀匠の著作「刀匠一代」という本です。「現代でも日本刀を作る人がいるのか!」と驚き、実際に見てみたいという気持ちが抑えられなくなりました。そして、この本の最後には「自分の想いを託せる若者が1人でも出てきてほしい」と書かれていて、俺のことだ!と思いました。
家業を継ぐと考えていたので、就活活動はおろか、他府県への就職など考えてもいませんでした。ですが、現在みたいにYouTubeで日本刀製作動画を見ることができるわけでもなく、メールで連絡を取ることもできませんでした。当時、就職先は引く手あまたで、著者・宮入行平刀匠のいる長野県で就職先を探すことができ、長野県へ移り住みました。そして初めての休みの日に仕事場へ足を運びました。1日中仕事をする姿を見て、その場の空気感、音、匂い、動き、全てがすごいと感じ、嬉しくて仕方がありませんでした。その後、何度も仕事場に通いましたが師匠には名前すら覚えてもらえず、弟子入りを断られ続けていました。当時の自分は48kgしかないすごく小柄な青年だったので仕方がないなとも思いました。それでもめげずに通い続けていると、師匠の奥様が、「私のお手伝いをさせるから置いてあげたらどう?」と師匠に頼み込んでくれていたそうなんです。なので、最初は師匠の弟子ではなく、師匠の奥様の弟子だったんです(笑)

―師匠の奥様の弟子だったんですね。そこからどのように師匠の弟子になられたんですか?

すぐには師匠の弟子になることはできませんでした。それこそ、名前すら覚えてもらえなかったですし、そもそも自分自身の体力がありませんでした。それでも、とにかくここに居続けるためにはどうすればいいかを毎日考えていました。ご飯を作って師匠の娘さんと遊んで風呂に入って寝る、の繰り返しの生活を抜け出すためにアピール方法を考え、実践しました。朝5時に起きて、木の根っこに向かって作刀に使う重い大鎚を振る練習をし、体力をつけ、ある日は、炭を焼く木材を均等に割る作業で真っ直ぐに鋼を叩くイメージをしました。そんな日々を過ごしていると、ごく稀に師匠に呼ばれるようになり鋼を叩けと言われるようになりました。そしてふとしたタイミングで師匠より仕事袴をもらい弟子入りを果たしました。

一見、自分がしっかりと練習をしたりしてきたから弟子入りできたように見えますが本当の理由は別にあったんです。

本当の理由は、「ガステーブルを綺麗に掃除したから」だと伝えられました。

当時は、仕事をもらえず時間があったのでよく家中を掃除をしていました。ガステーブルがかなり汚れていて、仕事場で砥石をもらってきて綺麗にしていました。師匠は、ただ汚れを落として綺麗にしただけではなく「美しさ」を追求したから、体は小さくてもこいつなら何とかなるかもしれないと思ったそうです。 師匠の行っていた「美」というものは、日本刀だけでなく、日本のモノはすべてにおいて「美」に落ち着くことが今になってすごくわかります。師匠の奥様に弟子入りして半年間、刀鍛冶として弟子になる確証なんてどこにもありませんでしたが、自分のするべきことをし続けてよかったなとすごく嬉しかった瞬間です。

―そこからようやく現場に入ることができたんですね。

いや、そこからもまだ現場には入れませんでした。仕事場の端で炭を切る仕事をしていました。師匠が「おいっ!」というタイミングで兄弟子が近づき鋼を打つというのがルーティンで、端で炭を切る仕事をしながら「このタイミングで行くのか」と流れを何百回とシュミレーションした。
兄弟子が師匠に呼ばれて近づくルートに炭を置いてみたり、ずる賢いことでも何度もトライし、自分が呼ばれる日はまだかと心待ちにしていました。そんなある日、兄弟子の調子が悪く大鎚が鋼に当たらず、挙句の果てには鋼を折ってしまいました。師匠もしびれを切らし「代われ!」と言われ自分の番が回ってきました。その1発をきっちりと決めて、そこからそのルーティンに呼ばれる回数が増えたんです。

―そこからどんどんと仕事が増えていったんですね。藤安さんにとって初めての作刀はいつだったんですか?

弟子になって7年目に、初めて自分で刀を仕上げました。この1本で賞をもらい、自分自身の自信につながりました。何より嬉しかったのは賞を取ったことよりも、普段褒めてくれない師匠が周りの人たちに「藤安が良い刀を作った」と言って広めていてくれたことを知った時です。

―藤安さんはいつ独立されたんですか?

11年目です。正直当時は独立するつもりがありませんでした。本物の日本刀の美しさを追求するために、刀の研究所を師匠の工場の近くに作って研究結果を元に師匠に刀を作ってもらうということがしたかったんです。
ですが、30歳の時に、過労で視界が白くなり、目が見えなくなってしまいました。知り合いの指圧の先生の所でしばらくお世話になっていて、ふとした時に階段から転げ落ちたんです。その拍子で目が見えるようになってその足で師匠のところに戻ると、ここで働いているとお前は休まないから実家に帰って独立の準備をしろと言われ、独立したという流れです。

―初めから独立される予定ではなかったんですね。独立されてからはずっとこちらの仕事場にいらっしゃるんですか?

そうですね、ここを拠点に活動をしています。独立した当初は毎月のように長野県に通っていました。師匠に会うたびに学びがありますし、刺激になっていました。そんな師匠が独立して間もない頃に、仕事場で作業着のまま倒れてしまったんですよね。当時はあまり悲しいと思わなかったんですよね、むしろ俺もこうやって仕事場で死にたいなと思ったんです。ですが、今はその逆で、長生きしたいなと強く思うようになりました。今いる弟子達をなんとかして育てていこうと思っています。あと、30年は頑張らなきゃいけないな(笑)

―師匠と11年間過ごされて心に刻まれていることはございますか。

2つあります。1つ目に「納得するまでやる」ということ。2つ目に、「何をやったっていいが、問題はそれが美しいかどうか」ということです。先ほども、お話しましたが、日本刀であれば、ただ切れればいいという物ではない。見た目の美しさ、切れそうだなと思わせるかどうか、多角的な「美」を追求して、自分が納得できる形にしたいと思っています。

―藤安さんが作刀するうえでのこだわりってどのようなところになりますか。

言葉にするのはすごく難しいんだけど、「人によって作られた痕跡を残さないこと」かな。自然に近い存在にしたいと思っています。山、海、空、そういったものを見て人間は美しいと感じると思います。いかにそれらに近づけるかをこだわっています。花が咲いて枯れるように、自然の中に刀が存在するようにしたいんです。古い刀を見ると、人が作っていることは間違いないんですけど、不思議と自然にできたもののような美しさがあるんですよね。

特に現代社会ではすべての品物が非常に高度なテクニックで作り上げられていて、作り手の作ろうという意識が強すぎて見ていて疲れてしまいます。正直に言うとつまらないと感じてしまいます。季節によって気温、湿度、炭の質、火の表情すべての条件が異なる中で日本刀を作ります。その異なる条件下でいかに美しい刀が作ることができるかというところが楽しいし、お客様にも楽しんでいただけると思います。
柴田勘十郎弓店で作られる弓も同じだと思います。弓を作る竹をとっても100%同じ条件なんてものはないし、その素材の表情を見て素材と向きあっている中でその素材がどうなりたいかを見ているのではと思います。昔、宗博君が楔を打っている時に、勘十郎さん(22代目)が「あと3つ打て!」と言っているのを見て、「3打で何が変わるんだ」と思っていましたが、その3打の理由を勘十郎さんに聞いても説明できないと思います。長年培った感覚の話になってきてしまうと思う。
言葉にできない「美」を追求して、自然な日本刀をつくることがこだわりですかね。

―最後に、藤安さんから若者にエールをお願いします!

最終的な責任はすべて自分ということを踏まえて、好きに生きて、やりたいことをやればいいと思います!!!

インタビューを終えて

インタビューを終え、藤安さんと談笑をしていると、工場の本棚にはたくさんの漫画が。藤安さんの今のお気に入りは「ザ・ファブル」という殺し屋を題材にしたストーリー。「主人公のファブルは、銃でもなんでも自然の物を調達して作るんだ。漫画からも学ぶことは多いぞ。」とおっしゃられ、我々に漫画を全巻貸し出していただいた。仕事の合間にファブルを読むと藤安さんのことを思い出します。そして藤安さんがこの漫画が好きな理由が少しずつわかってきた気がします。。。
あたかも自然界に元からあったかのような造形美を、人間の手によって創り出す。ものづくりを極める道を選んだ職人という人たちの神髄を、藤安さんとのインタビューで教えていただいた様な気がします。私たちも藤安さんの様な職人の方々をよりサポートできるように、使命感を持って励んでいかなければいけないと思いました。

藤安さんが作る日本刀は水玄京オンラインストアより特注が可能です。日本語以外の言語の方でも水玄京スタッフがご要望をお伺いすることは可能なのでお気軽にお問い合わせください。

日本刀を作る様子をYouTubeでご覧いただけます!

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