【伊賀くみひも職人】平井理考さんにインタビュー

三重県伊賀市で65年間組紐を作り続けている「くみひも平井」。工房に足を踏み入れると無音の中シャーっと糸を経尺する職人の方々がいらっしゃった。経尺とは専用の器具に糸を巻き付けていく作業で、巻き付けていく回数を頭の中で数えているため、この作業中は話しかけてはいけないんだそう。そんなルールを優しく教えてくれたのが、今回インタビューをさせていただいた平井理考さん。福井県高浜町出身。平井兼蔵商店5代目になる前まではシステムエンジニアをされていたという異色の経歴の持ち主。IT業界から工芸品業界へ転向した平井さんのこれまでのこと、これからのことを伺った。

―幼少期はどのようにしてお過ごしになられていましたか?

ずっと野球をしていましたね。家には駐車場があったのでそこでずっと壁当てしていました。小学3年生からスポーツ少年団に入り、6年生の頃にはレギュラーになって順調に進んでいました。ですが、中学校に上がってクラブチームに入り、実力の差を感じて小さい頃からの夢だった「プロ野球選手」になる夢はそこで諦めることになりました。野球は好きだったので、高校に行っても野球は続けて甲子園を目指して頑張っていて、福井県でベスト8までいったのは今でも良い思い出です。

―高校卒業後はどのような進路に進まれたんですか?

高校卒業後は大阪の工業大学に進学しました。大学では同好会程度で野球をしていこうと思っていたのですが、結局、野球を本気でやろうと思って2部リーグでプレイしていました。1年生でレギュラーをとれそうだったんですが、ヘルニア、分離症などけがをしてしまい、2年くらい野球ができなかったんですよね。 3年になったタイミングで復帰をさせてもらって、ランナーコーチをしながらたまに試合に出るといった具合で野球を続けていました。そんな選手として最前線で活躍していない3年生の秋、キャプテン変更の際に投票で僕がキャプテンに選ばれたんですよね(笑)2年間何もしていなかったのにも関わらずですよ!!恐縮です。。何とか周りの人たちにも支えられながら1年通じて活動ができて、2部リーグでも優勝することができました。野球漬けの学生生活でしたね。

―学生時代は野球漬けの毎日を過ごされていたと思うのですが、その頃からモノづくりに興味はあったんですか?

正直興味は全くありませんでした。将来はコンピューター関係の仕事に就きたかったので、大学も大阪工業大学情報科学科に行きましたし、大学卒業後はシステムエンジニアになりました。モノづくり自体に携わる気は全くなかったです。

システムエンジニアとしてはどれくらいの期間働かれたんですか?

約3年です。僕の中では、ずっとこの仕事をしていこう心の中で決めていました。

―では、どのタイミングで工芸品業界に入られたのですか?

妻と結婚するタイミングですね。お付き合いをしていく中で、結婚するときにはうちの店に入ってくれる人でないと結婚できないという話し合いを経て、今に至ったという流れです。

―実際に、その決断を下された時って決断までに結構時間をかけられましたか?

いえ、全然迷わずに決断をしました。当時は25歳で、年齢も若かったので、「なんでも仕事はできるもの」だと思っていました。今僕は37歳なんですけど、いざ今その決断を下せと言われると正直「できるかなぁ」とすごく悩むと思うんですけど、若いが故、良い決断ができたと思っています。たまたま、「伊賀くみひも」という工芸品でしたけど、当時であれば、他のモノづくりでも、はたまた全く関係ない仕事でも仕事を辞めて、新たな道に進んでいると思います。結局仕事って入社してからどうなっていくかって自分の動き方次第だと思っています。なので、その決心は、「できるかな」「やらなあかんな」という迷いよりも、「やると決めたらやる」といった判断でしたね。

―25歳の時に大阪から伊賀に引っ越されて、入社したての時のことは覚えてらっしゃいますか?

勿論覚えています。やっぱり糸という素材を触る中で、何回も絡まり、くちゃくちゃになってしまうんですよね。毎日が糸との戦いでした。着物、ましてや帯締めというものにも興味がなかったので組み方、結び方を全く知らない状態からのスタートだったので、仕事をしながら勉強をして自然に覚えていきましたね。

―インタビュー前に、いまだに義理のお父様とお話しする際は緊張されるとおっしゃっておられましたが、はじめは師匠と弟子といった関係だったんですか?

全然そんな感じではなかったですよ!職人界隈のイメージ的に師弟関係だと思われやすいんですけどそんなことはなかったです。わからないことがあれば聞いて、教えて頂いたといった感じです。一回手本をやってもらって、それを見よう見まねでまねて、間違えたら教えてもらってのトライアンドエラーの繰り返しですね。 それこそ、一番初めの工程で「経尺」ってあったじゃないですか?あの工程でも毎回必ず糸の本数を数えるようにしています。あの作業をしている時は話しかけてはけないというルールを設けているほど、1本違えば、太さが異なってくる重要な工程です。無駄をなくしていくという大事な作業となります。

―平井さんが後を継がれて意識されていることはございますか?

工芸品を扱う会社の経営をやっていくうえで、「作る」ということはもちろん大事な点ですが、売上を作るという部分で「販売」は作る以上に重要な部分だと思っています。結局売っていかないと、作り手のお給料も支払えませんし、義理のお父様からは販売についてを厳しく教えてもらった印象があります。会社を継続して経営する、組紐を守っていく、にはやはりお客様に使っていただかなくてはならない。伊勢神宮の参道のお店、デパートの催事での販売においても、言葉一つでお客様が購入するかしないのかが決まる。だからこそ、各商品のアピールポイントを熟知してタイミングよくいい言葉を伝えるということの重要性を学びましたね。

―くみひもを扱うなかで挫折や苦労など、ぶつかった壁はありましたか?

入社してすぐに壁にぶつかりました。糸って本当に扱うのが難しくて最初はぐちゃぐちゃにしてしまって絡まったりして、元に戻せなくなる。それを元に戻せて一人前と言われている世界なんですよね。そこでミスして先輩に頼んで直してもらっていたら自分のみならず、先輩の時間も奪っていることになるし、ましてや作業は逆戻りしているし、1日何回も起こってしまうので、心が痛かったですね。 けれど、その経験は部下ができて初めて良い経験をしたなと思いました。失敗して、なぜ失敗したかを考える時間が大事で、上達につながるんですよね。直し方を知っておけば、他の問題が起きた時もその応用で問題を解決できることがあることにも気付けるので、その失敗は将来の失敗を減らす大事な一歩なんだなと今になって思いましたね。

―今後のご展望を教えてください!

いい意味で変わらないということですね。これまでうちの会社は組紐を作り続けてきた会社として、お客様、従業員の言葉にしっかりと耳を傾けて、新しい商品づくりをしてきました。それを今後ともつづけていき、時代に合ったものを作り続けていきたいなと思っています。

―最後に、工芸品業界に興味のある若手へメッセージをお願いします!

どんなことがあっても続けることが大事だと思います!失敗はたくさんあるし、自分ができないこともたくさんあります。ちょっとずつ、1個ずつできるようになります。僕に関しては、仕事を辞めてこの業界に飛び込んだので、退路を断ってこれをやらなければいけないということに集中していました。そうするとモノづくりに関しては必ずできるようになると思います。退路を必ず断たなければいけないということではなくその意気込みが良い流れを作るのではないかと考えています。

インタビューを終えて

平井さんとの会話には笑顔が絶えず、世の中の方々が持つ職人像「頑固」からはかけ離れた気さくな方でした。平井さんとのインタビューを終えて、もしも自分が結婚を機に職人になるという決断を迫られたらどうするだろう、どの道を選ぶだろうと考えました。システムエンジニアから伊賀くみひも職人になる道は必然だったようにお話しする平井さんの話を伺いし、その「決断力の速さ」こそが何事においても成功していく秘訣なのではないかと感じました。そんな平井さんが作る伊賀くみひもは水玄京オンラインサイトにてご購入いただけます。是非ご覧ください!

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