【京友禅職人】上仲昭浩さんにインタビュー

京都府葛野大路八条にある京友禅に用いられる金箔加工をする工房「二鶴工芸」。漢数字の「二」に鳥の「鶴」と書いて「ふづる」と珍しい呼び方をする。なぜこの呼び方をするのかという問いかけに、笑いながら答えてくれたのが、本記事にてインタビューをさせていただいた上仲 昭浩さん。

二鶴工芸で呉服に金箔を装飾する金彩工芸の職人だ。ちなみに読み方の由来は知らないとのことだが、「二鶴」にした理由は、上仲さんのご両親が南丹市の鶴ケ丘出身で、そこから市内に出て独立した時に「二鶴」にしたそうだ。「絶対に普通の人なら選ばへん読み方を選ぶ父のセンスを、僕も受け継いでいるから周りから変わり者と呼ばれるんかな(笑)」と言う上仲さん。本インタビューでは、そんな上仲さんのこれまでのこと、これからのことを伺った。

—上仲さんは小さい頃どんな子供でしたか?

小さい頃は至って普通の子供だったと思います。小さい頃から美術・図工が好きで、得意でした。かといってクラスで一番上手な人ではなかったと思います。クラスではもっとずば抜けてうまい子がいましたしね(笑) 休みの日は魚釣りに夢中になっている時期があって、自作の木彫りルアーとか作っていましたね。とにかくモノづくりが好きでした!

—学生の頃は何か部活動はされていましたか?

中学から卓球部に所属していました。7,8年前までは試合にも出ていたのですが、今はもう地元のスポーツクラブで仲間と楽しくやっています。若い頃には筋肉痛なんて気にならなかったですし、当時見ていた50代がよく言う「2日後に筋肉痛が来る」なんて理解もできませんでした。ですが最近、ひしひしとその頃の50代が言っていた言葉を体で感じています(笑) 年に数回ぎっくり腰になりますし、体の衰えを感じますね。ここ何年かで出てきたチキータという技はもう五十肩なので出来ないです。。。現役を引退した理由も肩を壊したからなんですよね。

—上仲さんにとって工芸の道を志すことになったきっかけはございますか?

工芸の道を志したのは高校生1年生の時に、部活の卓球クラブを辞めた時ですね。自分は中学生から卓球を始めましたが、やはり2,3歳から始めている人が全国大会とか、オリンピックに出ていますし、練習量の差が10年以上あります。高校に入学して所属した京都の強豪校でその実力差を実感し、「卓球人生は始めるタイミングで決まる」ということに気づかされました。卓球を辞めた夏休みに何かすることないかなと模索していたタイミングで父から声をかけられて、工芸品の道へ一歩足を踏み入れました。親父もそれを見越してなのかわからないですけど、高校3年生の夏には既に自分の修行先を決めていましたね(笑)

—では、高校卒業のタイミングで家業に入られたのですか?

いえ、家業に入る前に、元橋宏太郎という金彩工芸の第一人者の工房で修業することになりました。入ってから、京都でも3本の指に入る厳しい工房だということを知りました(笑) 今振り返ると、昭和のバブル真只中の時代ということもあり、このご時世だと言えないようなパワハラや、理不尽な怒られ方をされていましたね。ですが、今と比べて仕事は多かったです。毎日段ボールで大量の依頼品が運び込まれる日常でしたからね。実家では触ったことのないような目新しい糊や箔、新たな技術にもたくさん触れることができました。正直に申し上げると何度も仕事を辞めようと思いましたけど、やっぱり親父が同業ですし、父の顔に泥を塗るのはダメだと思っていたので、耐え忍んでいましたね。

—修行中に意識されていたことはございましたか?

最初は、技術を覚えることで頭がいっぱいでしたね。意識していたことではないかもしれませんが、修行4年目ぐらいの時に、本業以外でオリジナル商品を作ってみたいなと思っていました。将来的に工芸品業界、着物業界は衰退していくだろうなと思っていたので、何か新しいことを始めるべきだと思っていました。今となっては、職人の中でも本業の商品以外にオリジナル商品開発することが主流だと思いますが、その当時はそんなことをする人はいませんでしたね。「なんでそんなことする必要があるんや」「目の前の仕事に集中しろ」と同業界の方に何度も言われました。

—修行を終えられてからはすぐにご実家に戻られてお父様とお仕事をされたんですか?

そうですね、ですがその時は全く仕事がありませんでした。のれん分けで仕事をもらうわけでもなかったので。。。なので、父の知り合いの紹介などで少しずつ仕事がもらえるようになりました。それでも本業と平行して商品開発・販売を進め、バッグ・財布類は「をかし」というブランド名で商標登録をしました。弟からの紹介がきっかけで商品開発した金彩ガラス皿ですが、気になってくださった企業様から商品開発のお話をいただく機会もございました。当時だと着物以外を作っている人はあまりいなかったのでかなり先駆けだったのではないかと思っています。

——初めて金彩ガラス皿を見た時に、京友禅=着物という固定概念があったので「お皿に京友禅の技術が用いられている」と聞いた時には驚きました!

やっぱりそういう情報は色んな方々に知ってもらわないと意味がないと思っています。なので、8年程前からブログを書いていて、定期的に情報発信をし続けています。最近ですとInstagramも始めました!

—これまでも多くの職人の方々とお話をさせていただきましたが、高齢の方が多い産業なのでデジタルに疎い方々をよくお見受けするのですが、上仲さんが情報発信をしようと思われたのには何かきっかけがあったのですか?

東京の納品先が次々と閉店してしまったタイミングで情報発信は必須だなと思いました。東京に4軒ほど二鶴工芸の商品を置いていただいている店舗があったのですが、そこが閉店したとたんに、その4軒の存在が大きかったということを実感して、情報発信することの大事さに気づかされました。ブログは、「二鶴工芸」と調べれば出てきますし、京友禅で用いられる技術、新たな商品アップデートなどの告知もできます。最近のSNSだと24時間経てば埋もれていってしまうのがほとんどです。なので、文面で残すことを意識して、もう8年くらい書き続けています。YouTuber同様ネタ切れすることもあるので、ネタが思いついたら書き溜めていくということをしています!

—上仲さんが尊敬している方はいらっしゃいますか?

父・師匠の元橋宏太郎はもちろんですが、業界で凄い方がおられます。和田光正さんです。和田さんは現代の金彩工芸をここまで進化させたレジェンドなんです!金彩工芸に用いられる糊や箔を含む材料などの研究開発された方で、今の金彩工芸があるのは和田さんや先人の方々のおかげだと思っています。例えば、昔はでんぷん糊が主流だったんですが、ゴキブリが食べてしまう・仕上がりがかたい点などを改善した合成樹脂を開発し、友禅のような柔らかなぼかしを金箔で表現するなど、配色のセンスも抜群だと思っています。今は普通に使われている、金彩友禅という用語を作ったのも和田さんです。以前に京都府の事業での会議でお会いしたんですが、緊張して頭が真っ白になりましたね(笑)

—最後に、これから工芸品業界を志す若者に一言お願いします!

何事をするにも準備をしておくことが大事だと思います。もちろん、お金は必須です。この業界に入るには、工房、道具、など様々なものが必要になりますし、材料に関しては、毎月何かしらの出費が出ていく場合もあります。そのため、職人を志す前にある程度の準備が必要だと思います。あとは覚悟ですね。昔は、得意先を割り振られたり、紹介してもらったりと、今よりも仕事がある時代でした。今の時代は良くも悪くも自分で仕事を作っていかなきゃいけない時代になりました。どの業界でも同じだと思いますが、いつ潰れてもおかしくない業界なので、下準備をしっかりして、覚悟を持って仕事に取り組んで欲しいと思います!

YouTubeで製造工程をご覧頂けます!

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