岐阜県多治見市にある株式会社丸モ高木陶器。焼き物だけでなく、ガラス商品など様々な商品を手掛ける。本日インタビューをさせていただいたのは5代目代表・高木正治さん。美濃焼の魅力を伝えるべく、国内外問わず多くのところに直接出向き、世界各国を飛び回っている。従来のイメージする職人とは少し毛色が違うことを第一印象で感じた。そんな高木さんにこれまでのこと、これからのことを伺った。
- ―幼少期はどのようにお過ごしになられましたか?
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小さい頃はスポーツばかりしていましたね。スマホもパソコンも普及していない時代だから、サッカー、野球、あとボーイスカウトもしていました。かなり田舎なので学校の裏山でジップラインとかもしていました。都会にお住いの方々からするとからするとかなりアウトドアな生活を送っていたと思います。
- ―進路はどのように進まれたんですか?
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中高大一貫の男子校に通っていました。高校2年生の時には母親の勧めでアメリカ・ウィスコンシン州へ留学をしました。特別海外への強い憧れがあったわけではないんですが、両親に信頼を置いていましたし、自分自身素直な子だったので海外へ行くという選択肢は正しいと思って飛び込みました。僕は、4人兄弟の長男なんですけど、僕が留学をした後には残りの3人も全員留学に行っていましたね(笑)
高校卒業後は、そのまま大学に進学し、経営学を学んでいました。親が会社を経営していることは意識していたのでマネジメントの勉強をした方が良さそうだなという判断からこの学部を選びました。
- ―大学卒業後はそのまま家業に入られたんですか?
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いえ、そのまま家業には入らず、名古屋本社の洋食器メーカーへ就職をし、3年間働きました。名古屋本社だったので、そのまま地元に居続ける想像をしていましたが、配属が北海道になり驚きましたね。(笑) ですが、アメリカに行ったおかげか北海道は不思議と近く感じました。
仕事内容としては、ホテルやレストランなどのクライアントに対して営業をしていました。他の地域ですと、レストランならレストランだけと決まった分野の担当があったんですけど、北海道に関しては幅広いクライアントに対してアプローチができたので、様々な業種・業界の内部を見ることができたのはいい経験でした。
- ―北海道への配属は驚いちゃいますね。3年間働かれた後家業に入られたんですね。
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1か月間時間をもらってタイでバックパッカーをした後に家業に入りました。当時は猿岩石が流行っていてそれに憧れて放浪の旅をしていました(笑)
その旅が終わった後に家業に入り、梱包や荷造りなどの簡単な仕事を教えてもらうところから始まりました。もちろん洋食器メーカーで働いていたので焼き物についてはある程度理解がありました。この時期は何かを頑張るというより仕事に慣れていくことに専念していました。
―家業に入られたタイミングで考えられていたことはございましたか?-
北海道時代の経験と家業の仕事を比べ、家業に活かせることは何かを考えていました。社会人になったタイミングでは小売りの構造すら理解できていませんでした。ライバル企業さえ知らなかったですし、無知でした。
何も知らなかったなりに、一番感じたことは、「利は元にあり」ということです。商社、問屋、仕入れ屋さんなどの多くの関所を通り、お客様の元に商品が届きます。北海道にいた時には気づかなかったのですが、家業に戻ってきたタイミングで、陶器以外の商品でも上手に仕入れることができれば、三方良しの仕組みが作れるのではないかと考えました。その発想が浮かんだ時に初めて商流というものが理解できた気がしました。 - ―家業を継ぎ、代表になられた時にはどのようなことを意識していらっしゃいましたか?
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自分自身は司令塔としてトップダウンの形態を作ろうと思っていました。一方的なワンマンではなく、周りの状況を把握したうえでの指示形態としての司令塔を志しました。あくまで個人的感想ですが、最近のトップにいる人たちは責任を背負いたくないと思っている人が多いんじゃないかと思っているんですよね。トップはそれではいけないと思っていて、トップが身をもって多くのことを経験して部下に伝えていくことが必要だと思っています。例えば、僕がホテル、レストランに多く足を運ぶのは、部下に対して「こういう場所にはこういう器が合うよ」ということを経験してみたうえでの意見を言えるようにという意図があります。実際に行ってみないと分からないことが多くあると思っていて、海外出張は特にそうですよね。異国の文化を体験してみて初めて日本を客観的にみることができますし。そこからセカンドオピニオンとして女性も含め多くの従業員に意見を聞いてみたりして、作戦を詰めていくこともあります。
- ―高木さんの話を伺ってみて改めて世の皆さんが想像する職人像と「職人・高木正治」とういうのは少し毛色が異なるのかなと思ったのですが、なにか職人として意識していらっしゃることはございますか?
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まず、僕は作ること、考えることが好きで、いわば製作、マーケティングに没頭することが好きなんです。ですが、モノを作り出すだけで終わる時代は終わったと思っていて、「プロダクトアウト」1なのか、「マーケットイン」2なのかというところが非常に重要だと思っています。この時代いくら質の高い良いモノを作ったとしても認知されなければ売れないし、世に流通すらしないと思っています。入口と出口をきっちりと自分で把握しないと商品が活きてこないと思い、看板商品でもある「冷感桜」を思いつきました。この商品は、先程伝えた入口と出口のどちらものドアが一気に開けた商品だと思っています。そのドアの鍵となったのがマスコミや、SNSだと思っています。
- ―具体的にはどのような流れで認知されていったのでしょうか。
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大前提、僕自身が「全世界の日本大使館で「冷感桜」に日本酒を入れて乾杯してほしい」という野望を持っていました。ですが、コロナになってしまって思っていたようにはいきませんでした。しかし、マスコミが自宅で花見を楽しめる魔法の盃という具合に表現を変えて少しずつですが方向転換に成功しました。元々この商品は海外のお客様をターゲットにしていて、日本人がターゲットではありませんでした。ですが、入口は商品力、そして、出口は市場と想定し、その両方のドアを開けたタイミングで強い突風を起こし、一気に突き抜ける。その風がマスコミ、SNSでした。結果的に世の中の需要に合わせたところに落ち着いてよかったと思っています。もちろんこれから海外に向けてもアプローチできますし、楽しみですね。
- ―高木さんの話を伺ってみて改めて世の皆さんが想像する職人像と「職人・高木正治」とういうのは少し毛色が異なるのかなと思ったのですが、なにか職人として意識していらっしゃることはございますか?
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まず、僕は作ること、考えることが好きで、いわば製作、マーケティングに没頭することが好きなんです。ですが、モノを作り出すだけで終わる時代は終わったと思っていて、「プロダクトアウト」1なのか、「マーケットイン」2なのかというところが非常に重要だと思っています。この時代いくら質の高い良いモノを作ったとしても認知されなければ売れないし、世に流通すらしないと思っています。入口と出口をきっちりと自分で把握しないと商品が活きてこないと思い、看板商品でもある「冷感桜」を思いつきました。この商品は、先程伝えた入口と出口のどちらものドアが一気に開けた商品だと思っています。そのドアの鍵となったのがマスコミや、SNSだと思っています。
- ―面白いですね!これまでの職人さんは「伝統を守ること」を強く意識していらっしゃると思うのですが、高木さんは「最先端技術と柔軟な発想」を強く意識していらっしゃると思いました。これまでの職人像と相対する存在なのかなとも思うのですが、高木さん自身はそこに対してなにか想うことはございますか?
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もちろん、伝統を守る・残していくということは常に考えています。もともとこの町は盃で有名で、その盃をアップグレードするような動きを多くしています。僕の中ではイノベーションとは「お客様が買わなくていいと思っているものを欲しいと言わしめることができる」それこそがイノベーションだと思っています。その商品開発の中で、盃の厚み、大きさ、デザイン、カラーなど新たなことに挑戦します。そこでもう一度原点に立ち返り、過去の商品を参考にしてみたりします。その行ったり来たりをすることで新しいものを作ることこそが進化だと思っています。なので、ずっと「変わらない」を追求するという道を否定することはないし、いいなと思っています。その「変わらない」を意識した上で、僕は伝統工芸品の出口はどこかということを思考しアイデアを出し続けています。
- ―高木さんのアイデアの源泉はどのようなところにあるんですか?
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日常生活であらゆるところに目を向けることですね。何より新商品を考えていることが楽しくて仕方がないです。(笑) 例えば、ある日洗面台に行った時に蛇口から出る水を見てもったいないなと思いました。温かい水が出るまでの間に冷たい水がちょろちょろっと出ますよね。温かい水になるまで違うことをしていたりして、ほったらかしていることを目の当たりにして、どうにかできないかと思い、冷たい水が温かいお湯に変わったタイミングで色が変わる商品があったら社会への貢献性があるなと思いました。触らずとも水温の変化がわかり、明るいポジティブな気持ちになり、水という資源を守ろうというメッセージも込められた商品を作ろうと考え製作に至りました。従業員に渡して、「家で使ってみてくれっ!」って渡したら、「社長!子供たちがこれ見てキャッキャ言って喜んでいます!」って報告受けて、子供たちが自発的に洗面所に行く動機にもなるなと思いました。食べ物をのせる以外のモノづくりをしたのはこれが初めてでしたね。
- ―最後に、今後のご展望を教えてください!
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日本人は軽視をしているけれど、海外の人たちが望んでいるものを世の中に輩出していきたいなと思っています。
例えば、初めてフランスに旅行に行ったらエッフェル塔のキーホルダーとか買っちゃいません?当たり前ですけどフランス人は買わないと思うんですよね。それと一緒で日本にずっといたら同じインプットで慣れてしまうから、ベタベタなデザインじゃダメでしょと思いがちです。ですが、忍者、侍、桜、富士山、歌舞伎のデザインは外国人からすると新鮮なんですよね。だから「冷感桜」も海外で人気が出ると思ったんですよね。そこから、各国の需要に合わせた形、カラーを選別していき、商品開発に励んでいくという流れです。
そのような商品を、越境ECを用いて販売していくことは今後の展望には必須だと思っています。今後は、積極的に海外へ訪問し、知識、交流を深め、海外の需要に応えられるような体制を整えていきたいと思っています!オールジャパンプロダクトを提供でき、世界線で戦える企業にしていきたいと思っています。
インタビューを終えて
高木さんの話を聞き、「職人とは何か」「伝統とは何か」ということを考えさせられました。「伝統を守る」という言葉が頻繁に使われる世の中ですが、「守る」だけでは、大きく発展もせず進化もできないともとれるのではないかと思いました。「守る」だけではなく「攻める」いわば「改良」する姿勢を兼ね備え、現代に合わせた商品開発を行うその姿勢は、今後の職人のなるべく姿なのかもしれないと感じました。変わってはいけないもの。変わらなくてはならないもの。工芸品に関わらず、すべての物事に対してこの命題を追求していくことが必要だと強く思うインタビューとなりました。