西陣織の製作工程
糸繰
生地を織りやすいよう縦糸横糸を巻き取っていきます。昔は手動で行っていましたが、現代では機械によって巻き上げていきます。
綜絖
縦糸を上下にひらきわけ、模様に合わせて横糸が通る口を作ります。
織物ならではの重要な工程です。
手機、ジャガート機 等
金襴など、繊細な商品はいまだに手で織っていますが、機械で織ることが大半と、移り変わっています。
YouTubeで西陣織の製造工程をご覧頂けます!
伝統和服を支える西陣織
西陣織とは京都市街の北西部で生産される絹織物を指します。京都北西部の地域を西陣と呼ぶことから西陣織という名称が定着し、西陣織工業組合に所属している西陣の織物業者が制作する織物のみ、西陣織と名乗ることができます。
西陣織の最大の特徴は生地の反発性にあります。先染めする絹糸で製織する織物のことで通常の後染め製法のものより耐久性が増し、シワになり難い織物を作り出すことが出来ます。
金銀糸を織り込んだ着物や帯は、今では日本を象徴する伝統和装にとって欠かせないものになっており、現在では伝統的工芸品として指定されている西陣織の品種は全部で12品目あります。
機械でも再現できない西陣の柄からは、絶対的な職人の自信が感じられ、煌びやかなデザインや、わびさびを彷彿とさせるものまで製作されています。
1200年以上続く西陣織の歴史
西陣織の起源は、5-6世紀にまで遡ります。大陸からの渡来人が現在の京都に定住したことをきっかけに、蚕と絹織物の技術を伝え、現在の西陣織が生まれたと言われています。
平安時代には、高級な絹織物を作る国営の職業として普及し始め、現在の上京区にあたる地域に、職人の集まる「織部町」という町を作り、綾、錦などの高級織物の生産を行っていました。
しかし、室町時代には京都で応仁の乱が起こり、大勢の職人は和泉に住居を移し、当時絹織物業が盛んであった大舎町は崩壊寸前にまで追い込まれます。
その後、戦乱状況がおさまると、避難していた職人が西軍の陣地であった地域に戻り、織物業を再開させました。この頃に西陣という地名が生まれ、その土地で作られる西陣織が日本を代表する織物ブランドとして発展していきました。
西陣織×高級ブティック
西陣織は製造の機械化が進むにつれて、新たな技術を次々と導入していきました。
以前は着物や帯といった和服製品が定番でしたが、現在では市場ニーズの変化によりネクタイや財布、スマホケースなどの新たな製品を展開し、消費者に向けて日本伝統工芸品の美しさを提供し続けています。
このように様々な製品と結びつき変化し続ける西陣織は、その実用性やエレガントな風貌により世界各国から注目されていきます。実際に、世界的に有名なファッションブランドでも店舗用インテリアとして、西陣織をソファーの張り地、壁紙として使用しました。
その後も、名だたる有名ブランドの複数店舗からの注文が絶えず、西陣織の美しさは一般消費者のみならず、数多くのデザイナーからも注目を集めています。
最後に
1200年以上の歴史を持つ西陣織は日本国内のみならず、世界各国で受け入れられ、職人がもたらす繊細なデザインやクオリティーは高い評価を受けています。皆さんも西陣織の多種多様な製品の中から、お気に入りのものを探し生活の一部に取り入れてみるのはいかがでしょうか。