愛知県名古屋市に工房を構える、加藤七宝製作所。今回インタビューをさせていただいたのは3代目社長の加藤芳朗さん。西日が差し込む夕方の工房はオレンジ色に染まりどこか懐かしさを感じる表情をしていて、そんな工房が加藤さんも好きだとおっしゃっていた。2018年には国指定伝統工芸士に認定されている加藤さん。「世間話をしすぎるとインタビューで聞かれることがなくなっちゃうな(笑)」と七宝に対する熱い気持ちがインタビューの前からあふれ出していた加藤さんにこれまでのこと、加藤七宝製作所としてのこれからの展望を伺った。
- -モノづくりに興味を持ち始めたきっかけは?
-
子供の頃にゲーム機を自分で修理した経験ですね。現代のゲーム機と違って昔のゲーム機って簡単に開けることができたんですよ。子供ながらに、「中を見てみたい」「もしかしたら修理できるんじゃないか」という思いつきでやってみたら直っちゃったんですよね。バラバラにして、掃除をしていたらこれまで見えてなかったものが見えてきました。そうすると、中身がどうなっているのかということが気になり始めました。そこからミニ四駆、ラジコンにハマり、自分なりに改造してどうやったら早くなるか、軽量化できるかを考えて楽しんでいました。もらったお年玉は全部ラジコンに使っちゃっていましたね(笑)
- -お年玉を全部使ってしまう程とは、相当没頭していたんですね。
-
その当時は、相当ハマっていましたね。ラジコンの影響で車に興味を持ち始めて、その当時は街中に走っている車の車種、年式、全部言えるまで調べ尽くしていて、相当な車マニアでしたね。F1とかもテレビでやっている時代でしたしね。
- -進路はどのように進まれたのですか?
-
あらゆる角度からモノづくり、デザインを学びたいと思いデザイン系の大学に進学しました。進学した大学では、興味のある分野だけでなく、あらゆる分野のデザインについて学びました。その当時学んだ、実技、座学すべてが今の加藤七宝製作所における商品開発にも役に立っていると思います。
- -加藤さんのお話を聞いていると、どちらかというと工芸品とは異なる電気や工学系の分野に興味があるのではと思うのですが、七宝焼はいつごろから興味をもちはじめたのですか?
-
七宝焼に興味を持ったのは大学3年生の最後の就職先を決めるタイミングでしたね。実は、車のデザインに関わるモデラ―という職業に就きたかったんです。車も好きだったし、デザインにも関われる点で自分のしたい仕事そのものだと思っていました。その他にも、バタフライスツールの造形美に惹かれていて、いつか自分もそんな美しい家具を作れたらとも思っていました。家業を継ぐ気なんてさらさらなかったんですよね。
- -大学3年生の時に何があったのですか?
-
モノづくりをするという大きな軸で就職活動をしていて、モデラ―、家具職人と就職先を考えているのにも関わらず、家業に対して目を向けないのかというジレンマに陥りました。これまで突き放して目を背けてきたところに就職活動をしていく中で、家業を継ぐという選択肢を無視することができませんでした。自分自身はっきりしなければいけない状況まで追い込まれたので、まずは七宝について調べようと思ってめちゃくちゃ調べました。そこで並河靖之(なみかわやすゆき)の作品に出合い、強烈な感銘を受けました。
家で見ていた七宝と、並河の生きた明治時代の七宝の違いに驚きました。その美しさに一瞬で引き込まれ、京都の三年坂美術館、並河靖之七宝記念館にも直接足を運んで作品を見に行きました。こんな細かくて正確で美しい作品が存在するにも関わらず、あまり知られることもなく七宝業界が淘汰されそうな状態にあることを知り、居ても立っても居られない気持ちになりました。自分には七宝を作るチャンスが残されていて、やらないという選択肢をとると一生後悔すると思いましたね。 - —家業を継ぐ選択にジレンマがあったんですね。いざ家業に入ってみて率直な想いはいかがでしたか?
-
入社当時はまず一通りの技術を習得するのに必死な毎日でした。振り返ってみると私の場合、実感として最低限の技術習得には5年程、それなりに一人前と見てもらえるようになるまで10年はかかったイメージで、想像以上に大変な道のりでしたし、技術の研鑽に終わりはないので、今も日々続けています。 当時を振り返ると、自分の技量向上はもちろんですが、「情報発信」の重要性も強く感じていました。20年程前はインターネット上に尾張七宝の生きている情報が皆無でした。せっかく尾張七宝に興味を持ってくれた人がいたとしても、まともな情報に行きつかないことはもったいないと思い、入社間もなくして自社のホームページ作成に取り掛かり友人を巻き込み2年以上かけて立ち上げました。現代だとInstagram、TikTok、TwitterなどHPに加えてSNSで発信する時代になってきて、関わり方が難しいと思っているのが現状です。
- -SNSとの関わり方は難しいですよね、何か考えられている施策はございますか?
-
具体的な施策というより、丁寧に、間違いのない情報を発信していこうと思っています。最近だとフェイクニュースが流れたり、事実無根の情報がSNS上で流れてきたり、リテラシーが問われる時代になってきていると思います。そんな時代だからこそ、正確な情報を皆様に届けようと意識しています。情報の流れが速いこの世の中だと、今日発信した内容でも24時間が経過すればすぐに古くなって埋もれていってしまう。これからはSNSを通じて継続的に見て頂ける発信力と、催事、イベント、コラボレーションを通じてファンの方々を増やす動きに注力していきたいと思っています!
- -加藤さんの思う尾張七宝の魅力はどんなところだと思いますか?
-
緻密性の美ですかね。銀線1本であらゆる模様を作り上げることができます。釉薬で彩られたその表情は、他の工芸品で見ることができないと思います。大きなものを作ることが正義という時代がひと昔前にはありましたが、僕が目指す理想は、「手のひらで収まる究極の美」です。先ほど話した並河の時代には1個の作品を1年がかりで作り、その作品一つで家が建つとも言われていたそうです。僕自身は、手のひらサイズの作品に驚くほどの手仕事が詰まっていることに尊さを感じます。僕は常々、その時代の一端でも感じてもらえるような作品を作りたいと思っています。個人的には、いつか並河の作品を復刻させたいとも思っています!口にするのも大変おこがましい限りなんですけどね(笑)
- -最後に加藤七宝製作所のご展望を教えてください!
-
これまでも地道にやってきたことなのですが、できるだけ様々な領域の人と積極的に関わっていく中で、より良い未来へ向かう道を探していければと思っています。
- —これまでも地道にやってきたことなのですが、できるだけ様々な領域の人と積極的に関わっていく中で、より良い未来へ向かう道を探していければと思っています。
-
立場や専門領域は違えど、誰しも重なり合える想いがあったり新しい気付きがあったりして、そこにより良い未来へのヒントが隠されていると思います。例えば、僕らは作り手として魅力ある商品、作品を作る、水玄京さんはその魅力を世界中に発信して販売する、といった具合に、それぞれの得意分野でその想いを形にしていくことで無限に繋がりを増やしていけるはずです。
その中でもやはりSNSは重要で、ただ商品や作品を紹介するだけでなく製作の裏側にある作り手の想いであったり製作過程であったり、完成した物だけではなかなか見えない部分にもしっかりスポットを当てて深く見せていくことで、その物の見え方は大きく変わります。特に尾張七宝は製作工程が複雑で表現も多彩ですし、他にはないことをやっているからこそより一層情報発信にも力を入れていかなくてはと考えています。ただ、作ることに集中すればするほど、良い写真を撮るタイミングを逃したりして後から苦労することも多いです。できるだけ質の高い情報をいかにコンスタントに発信していけるか、そこには課題を感じていますが、できる限り周りの人間を巻き込んで一緒に考えながら取り組んでいるところです。
興味を持ってくださる方々とのご縁を大切にして、新しい道を切り拓いていきたいと思っています。
インタビューを終えて
インタビューに加え、丸2日間の七宝製作の動画撮影にもご協力を頂きました。インタビュー以外のお時間にも七宝に対する想い、工芸業界に対する想いをお伺いさせていただきました。加藤さん自身、最高傑作に挑みたいという気持ちはあるものの、材料費、設備費等を考えると、決して簡単に挑戦できるような状況にはないと悔しい表情を浮かべていました。水玄京の想いとしては、職人の方々には、人生が終わるまでに、過去のどんな巨匠をも超えていくような最高傑作を作っていただきたいという想いがあります。そんな環境を作れるよう水玄京としてすべきことをしようと胸が熱くなりました。