【東京銀器職人】上川さんにインタビュー

「続けることの大切さ」

3歳から師匠の父であるおじいさんや、お父様の鍛金する音を聞いてきた。幼いころの思い出話を聞かせて頂いたのは、銀師・上川善嗣さん。江戸時代から続く伝統工芸一家で12代にわたり技を受け継いでいる。この技術を次世代に残していくために数多くのメディア、催事に参加している上川さんは、視座が高く、物腰が柔らかい。そんな上川さんにこれまでのこと、これからのことを伺った。

―3歳の頃から銀を叩く音を聞いていたとのことですが、幼い頃から職人になるイメージはございましたか?

しっかりありましたね。僕は4人兄弟の長男で、下の名前が善嗣(よしつぐ)というのですが、嗣という言葉には、「家業の後継ぎ」という意味があります。名前の由来からも自分が家業を継ぐんだなという想いは幼いころからありました。いわば宿命のようなものですね(笑)

―名前に「家業の後継ぎ」の意味合いが含まれているのは面白いですね。名づけの親でもあるお父様が師匠だと思うのですが、昔から継いでほしいという言葉はありましたか?

いえ、そういった言葉は特になかったですね。子供のころからやりたいことがあれば、チャレンジしてみろという教育方針だったので、銀器に固執していたわけではありません。学生時代は、バレーボールに明け暮れていたスポーツ男子でしたし、普通の学生でした!

―上川さんの時代の部活は相当きつかったんじゃないですか?

冗談抜きできつかったです。(笑)令和の時代にはあり得ないトレーニングをしていましたね。典型的なうさぎ跳びでグランド10周とか、水を飲んではいけないとか。昭和のど真ん中を過ごしましたね。

―上川さんのお話の仕方、所作を見ていると無駄がなく、すごく丁寧な印象をお見受けするんですが、それもやはり部活動の影響ですかね。

それもあると思いますが、家庭環境が今の僕を一番形成しているのかなと思います。食卓では父親が箸に手をつけるまで箸に手をつけてはいけないし、正座でご飯を食べるのが当たり前でした。ある日、家族全員が食卓で僕を待っている状況が合って、僕が最後に席について一番早く箸に手を付けて食べようとしたときには、机をひっくり返して、「なんだ、お前は!!」と怒られたことが記憶にあります。(笑)弟と妹はそれを見て過ごしていたので、反面教師にしていたでしょうね。

―学生時代を終えそのまま家業に入られたんですか?

いえ、ストレートで家業に入ったわけではなく、一度大手貴金属メーカーに就職をしました。いずれ家業を継ぐということは考えていたので、社会勉強の一環で父親と相談した上で一度外で色々な経験をしようと思い決意しました。

―就職時代に感じたことなどはございましたか?

そこでは日本のモノづくりの根幹を見た気がしました。工場は24時間稼働していますし、多くの人員を使ってモノを作る体制、役割を知ることができました。仕事面以外、日常生活でも人間として成長をすることができたと思っています。寮生活だったので、電気を消す、部屋の掃除をするなど当たり前のことを当たり前にできるようになれたと思います。

―どのくらいの期間働かれたんですか?

1年半ですね。母親が体調を崩してしまい、誰かが面倒を見なければいけないとなった時に家業に戻る決断をしました。その時の会社の代表には「このままここに残って働いた方が、安定していいんじゃないのか」というお言葉も頂きましたが、12代も継承されてきている家業を継ぎたいという気持ち、自分の名前に込められた想いが強く、安定よりも自分の前向きな気持ちに従いました。この1年半という短い期間でモノづくりの業務以外に総務や人事といったあらゆる分野に携わることができ、今にも活きる良い経験ができたと思っています。

―HP、SNSを拝見させていただき、銀器を作ること以上に発信することにも力を入れていらっしゃると思うのですが、どういった経緯があったのでしょうか?

今はデジタル化が進み、工芸品というものを知らない人も多くいることを目の当たりにして、まずは知ってもらわないといけないなと思ったことが始まりですね。技術がすごいというところ、技術を向上させるという点は職人として最も重要な点です。ですが、それを受け身で待っている時代ではないと感じました。この商品を、誰が作っているのかというところに関心を持ってもらえるとより商品にも興味が沸くのではないかと思い、体験教室や、SNSを開始しました。

―上川さんが体験教室を始められたんですね。

そうなんです。10年前程前から、地域の観光支援、モノづくりの楽しさをお伝え出来ないかなというところで始めさせていただきました。そもそも、職人はお客様と話すことはなく接客はしないということが普通で、お客様と話す機会はありませんでした。業界では、卸問屋さんや小売店さんをお客様と呼ぶ習慣が今でもあります。しかも、普通であれば店舗にお客様をご案内するのに、工房にお客様をお招きすることは失礼なのではないかと考えていました。ですが、知ってもらうことを考えてからは、予約制で工房を見せるように体制を整えたり、自分自身がお客様とお話をして、真摯に向き合い気持ちをお伝えしています。

―「知ってもらう」ことが大事だということはいつ頃から感じていらっしゃったんですか?

家業に戻って弟子入りした30年前のタイミングからですね。ですが、弟子入りと同時に体験教室ができるはずもなく、1人前になるまでに覚えなければいけないことが多すぎるので手が回らなかったのが本音です。先ほども動画撮影の際に見て頂いたかと思うんですけど、「研ぎ加工」は目立ちませんが、表面を滑らかにするすごく重要な工程なんです。昔だと、師匠に「これ研いどいて」と言われ、ひたすら研ぎ続けていた時期があったんですけど、当時は「なんで研ぎばっかりなんだよ」と思っていて、その工程の重要性や、今後にどう生きてくるかということが理解しきれていませんでした。今考えると、当時のお客様に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。年月と経験を積んでいく上で、各工程の重要性を理解し、想いが芽生え、この情熱をお客様に伝えなければ、お客様は知る由もないなと思いました。なので、催事や実演なのではお客様と面と向かってお話し、コミュニケーションをとるようにしています。

―以前、お会いした職人の方に「職人ってよく頑固って言われるけど違う、頑固ではなのではなく、ただ筋を通したいだけ」というお言葉を頂きました。僕自身、その筋は職人の方々それぞれで異なると思っています。上川さんにとって軸となるような工芸品の事業者として大切にされている思想、言葉などはございますか?

「続ける」ということですね。続けていくという筋を1本通していないと、この工芸品の息が途絶えてしまいます。誰かがではなく、自分自身が続けていかなければいけないという当事者意識を強くもっています。この気持ちに関しては押し付けて持つことのできる意識ではないと思っています。発信などを通して、自分以外の誰かが自発的に興味を持ち、新たな道で続けていくという連鎖ができればいいなと考えています。そのように思ってもらえるものを作っていかなければいけないと思っていますし、使命だとも感じます。

―最後に若者たちに対して、メッセージをお願いします!

最終的には本人次第ということですかね。目標としている職人・作家、誰でもいいです、一度訪問をしてみてください。訪問したタイミングには、ご縁がなくて弟子入りや教えを乞うことができないかもしれません。ですが、その会いに行くほどのバイタリティ、行動力、熱意があれば、違う経験をしながらその意思を別の機会に活かせるかもしれません。3年後5年後に再びチャレンジすることも可能だと思います。その年月で、1周りも2周りも大きくなることができますし、気持ちを変えずに芯をぶれずに幹を太く枝を増やしていけば、同じ志を持つ人たちが周りに自然と集まってくると思います。そうなると人生が豊かに楽しくなると思いますので、自分の気持ちに嘘をつかずに行動してみましょう。

インタビューを終えて

上川さんとのインタビューを終えて、改めて、自分の起こす一つ一つの行動に意味を持つことの重要性を考える良いきっかけとなりました。これから起こす1つの行動が誰かにどこかで影響を及ぼすかもしれないと考えると、慎重にもなるし、時には大胆に動くべきだとも感じました。その一つ一つの決断が10年後の自分を形成すると考えると今から将来が楽しみになりました。

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