【京銘竹職人】真下彰宏さんにインタビュー

京都府は大山崎。様々な困難を乗り越えてきた長岡銘竹という会社がある。現代社会のニーズと会社の技術を用いて受注生産を行う他、積極的にメディアにも出演している。今回は代表の真下彰宏さんに話を聞いた。

—小さいころからのご経歴を教えてください。

神奈川県で生まれ5歳まで住み、その後、竹の町、長岡京市に引っ越しました。高校までを長岡京市内で過ごした後、卒業後、1年間の時間を挟み、伝統工芸専門学校に入学しました。2年間通い、そこで出会った、長岡銘竹株式会社に就職しました。
竹に関して言うと、5歳の時から、町に竹がいっぱいあって、身近でしたし、シンボルでしたね。小さい時ですけど、竹で籠を作った人がいて、「これは凄い」と思いました。

—専門学校を卒業してから、ずっと同じ仕事をされていると思いますが、他の仕事に目移りがする事はありませんでしたか?

好きなことが出来ているし、ノルマがあるわけでもないから目移りすることはありませんでしたね。だけど、違うことで悩むことはありました。

—どういったことで悩まれていたのですか?

初めは仕事も順調に進んでいたのですが、突如転機が訪れました。会社の人数が8名から3名に減り、会社が全焼するという事件が起きてしまいました。
このような苦難が続くと、会社から離れることを考えてしまうと思うんですよ。でも、私はそうではなかったです。当時の代表が辞める決断をしなかったのです。私としては、「これしかできないから、これをやる」と思っていました。もう1人も辞めてしまいましたが、やるからにはこの代表についていこうと思いました。
その後、代表と会社の内部の話を細かく分析し、BtoBビジネスの他にBtoCビジネスも社内に取り入れました。そのためにカタログやHP、チラシを作り始めました。これからの時代、生きていくためには、会社の改革が必要だったんです。

—真下さんは尊敬する人はいらっしゃいますか?

新日本プロレスの棚橋弘至さんです。棚橋さんはプロレスの暗黒期に新日本プロレスに身を捧げ、見事に収益をV字回復させました。ある意味、手本がこの人なんです。プロレスはエンターテイメントであるし、工芸もエンターテイメントであると思っています。楽しんでもらえる・喜んでもらえる。私たちの商売はこれに尽きます。

—印象に残っている言葉はありますか?

「すべてを受け止めて前へ進む」という棚橋さんの言葉です。私自身も様々な苦難な経験をしましたけど、受け止めないといけないと思いました。棚橋さんは、それを前提にさらに前へ進むという言葉を残したんです。その言葉を聞いて、前進あるのみだと思いました。なにがあっても、前へ、前へ。何かあと一歩できる時に進む。その積み重ねは非常に大きいと思います。99の積み重ねと100の積み重ねは、人生規模で考えると大きく違うし、こういう業界にいるからこそ、尚更頑張らなければいけないと思っています。

—前進し続けるこの長岡銘竹株式会社にしかできないことはございますか?

正直、他の人と比べると全部他の人の方が良く見えてしまうので、見ないようにしています。「隣の芝は青く見える」ではないけど、そんなことを考えるときこそ。自己流を貫いているから、比べることができないですね。ただ、ここまでメディアや新聞、テレビに出られる事や、SDGs活動でアドベンチャーワールドとコラボしたり、「エンターテイメント性のある戦略」はうちの強みだと思います。これからも様々な現代的な取り組みをしていきたいですね。

—最後に、今後の展望を教えてください!

今後は、新しいものをどん欲に取り入れていきたいです。チャレンジ精神が何よりも大切で、何かキーワードが合えば、ぜひ取り組みたいです。普通に売るよりかは、何かアイディアを持って取り組めるようにしていきたいです。「竹」は柔軟なので、色々なものとコラボレーションしていきたいです。

YouTubeで京銘竹ボトルスタンドの製作工程をご覧いただけます!

https://www.youtube.com/watch?v=obZn4NL_l7Q
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