【京瓦職人】浅田晶久さんにインタビュー

京都市 伏見区にある株式会社京瓦。フォーシーズンズホテル京都や国立京都国際会館、さらには海外の個人宅にも瓦を納品している会社である。今回は代表の浅田晶久さんに話を聞いた。

—小さいころからの経歴を教えてください。

生まれてからずっと京都で育ちました。運動が好きで、よく走り回っていました。特定のスポーツはやっていませんでしたが、バトミントンや体操。山岳まで幅広く経験しました。将来は家業を継ぐだろうなという感覚は小学生の時からあり、当時、親の工場 で働いていた師匠から建築の大学を進められ大阪工業大学に進学しました。家業を継ぐにしても、建築を学ぶ必要があると考えていたので、設計図や図面を引く、図面で物事を表現することを学びました。時代背景的にも長男が継ぐことは必然的でしたから、大学を卒業した後、家業に入りました。

—そうだったんですね!仕事をする上で大切なことは何だと思いますか?

根気と好奇心です。1つのことをやる時、またやり続ける時に挫折する時がありますよね。思うようにいかず、諦めそうになる時に役立ちます。いつでもいい事ばかりじゃないですよね。

—確かにそうですね。継続をしてきた浅田さんにしかできないことや自慢はありますか?

そんなんなんもない(笑)続ければ誰でもできますよ。続けること。やる気。向き合えるか向き合えないか。これだけが大切です。

—ずっと笑顔ですよね浅田さん!ストレスとかないんですか?

ストレスばかりだよ。今は、瓦の仕事がない。本業が屋根の瓦を作ること。それをどうするかなあ。正直な話。阪神淡路大震災の前くらいから瓦の需要がどんどんなくなってきているのは実感していたんですよ。
阪神淡路大震災の時に瓦が重たくて悪いという報道が出て、新築の家だとそんなこともないが、当時の家は老朽化が進んでて、建物自体が悪かったのにも関わらずそういう報道が出ました。腹立たしかったですよ。当時のそういう報道からどんどん瓦離れが進んでいきましたね。
その後も様々な場所で地震がある度に、瓦離れが進んでいて…。ゼネコンやハウスメーカーがどんどん瓦から身を引いている現状があります。ただ、ここで言いたいことは、いずれ日本の建築で瓦が1番合っていて、瓦が見直される時期が必ず来ますよ。絶対に。それまでに持ち堪えられるかどうかが勝負。
それまでの間の繋ぎで瓦の素材を使ったモノを創造していかなければならないです。それが壁面材とか床材。また、プランターやコースター。これからは食器関係も作りたい。

—コースターやプランターを作ることは、新しいものを作ること、つまり新しい事との融合ですよね。そういう融合には抵抗はないんですか?

それは全く抵抗がないです。ただ、父は屋根に乗るものを下に置くな。という考えだったので、自分の代から色々なものを吸収し始めました。大学院生の弟子ができ、後継者育成の方法を研究していました。内容としては、熟練している人と初心者との筋肉の動きの違いを動作解析や筋電図を使い研究するというものでした。 実際に論文化されたし、そうすれば、後々習う人も早く習得できるでしょう。

—尊敬する方はいますか?

父。全てにおいてすごいなと思っています。趣味が仕事だった人でねえ。とりあえず父は機械化をしなかったんですよ。手で作ることを好み、周りの企業が機械化を進めてる中で、この工場 だけは機械を入れなかった。それが京都でただ一軒の店となりましたからね。機械に任せなかったから残れていると思います。

—私たちは、今後の職人の育成も後々していきたいのですが、現代の職人と若者の関係性についてどうお考えですか?

教えてやりたいって職人と、習いたいっていう若者のマッチングがなかなか難しいですよね。年々歳はとるし、体力も衰えてくるから、僕 は残す程度しかできない。だから映像で残っているのをみれば、ある程度動作としてわかる。後は何回も繰り返すこと。時代的にバーチャルや動画で残していきたいよね。瓦だからこの技術が必要だとかは全くない。根気とやる気があれば絶対にいいものが作れるよ。

YouTubeで京瓦の製作工程をご覧いただけます!

https://www.youtube.com/watch?v=9nCYqlCJhtM
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